free soulという多幸と高揚のB級音楽 「Delegation Oh honey」DJが選ぶ今日の一曲
1989 渋谷 公園通り
DJ発祥音楽ルネッサンス rare grooves
レコードオタクたちのB級グルメ freesoul
いわゆるFREE SOUL、渋谷系、rare groovesの時代からクラブDJをやってきてきました。
さまざまな国の、さまざまな時代のレコードの中から、渾身の1曲を選んでお届けするシリーズを始めることにしました。
ということで、
今日の一曲は、
DJが選ぶ今日の一曲 デレゲーション オーハニー Delegation Oh honey 1977
free soul 渋谷 1989
1989年は、ずっとクラブにいた気がします。
夕方になると、路地裏の、雑居ビルの、階段を下り、あるいは上り、素っ気ないドアを開け、
その先にある、異空間で、
夜通し、音楽が流れ、紫煙が流れ、ヒトが流れていく、そんなところで、
フロアの片隅で、音を聴き、音をかける、そんな毎日でした。
まだCDJもなく、誰もがレコードをかけていました。
僕は、僕たちDJは、
日々、365日、
まだ見ぬ、というか、まだ聴いたことのない、でも、世界の片隅には、必ず存在している、究極の音を切望していました。
あ、
と、流れた瞬間に、その場の空気が変わる曲を。
あ、
と、流れた瞬間に、景色が、一面に広がる曲を。
あ、
と、流れた瞬間に、涙がこぼれ落ちる曲を。
僕は、僕たちDJは、
そんな音に出会うため、
日々、クラブに通い、
ヒトのDJを聴き、
そんな音に出会うため、
日々、レコード屋に通い、
エサ箱を漁っていました。
ネットのない時代でした。
スマホもありませんでした。
情報を得るには、
その場所にいくしか、ありませんでした。
だから、僕は、僕たちDJは、
毎日、エサ箱を漁り、
毎日、クラブフロアの片隅で、ひたすら音を聴いていたのです。
あるとき、顔見知りのDJから、
彼は、数年後、free soulコンピレーション選者の一人になるのですが、
そんな彼から、
一本の自作ミュージックテープをもらいました。
そのテープを聴いて、びっくりしました。
ほとんどの曲が、いまだかつて聴いたことのない曲でした。
ほとんどの曲が、躍動し、高揚し、多幸感に溢れていました。
彼は、いったい、この曲を、どこで見つけたのだろう。
そもそも、
何というミュージシャンの、何という曲で、何というアルバムに入っているのだろう。
同じDJとして、
素晴らしい曲を教えてもらった感謝と、
若干の嫉妬と、
何よりも、曲の情報を知りたい、という
息苦しいぐらいの渇きを催おさせる、そんなミュージックテープでした。
テープの最初に入っていたのが、デレゲーションのオーハニーでした。
煌く曲ばかりのそのテープで、一際煌めいていたのが、この曲でした。
もちろん、彼も、一曲目に持ってくるぐらいですから、
この曲の、永遠っぷりは、しっかり理解していたと思います。
どうだ! という感じだったと思います。
1989年のことでした。
2020年の今なら、
例えばジャクソンシスターズのミラクルが、ラジオから普通に流れてくる今なら、
free soulという造語が、違和感なく使われる今なら、
このオーハニーも、そんなに珍しくはないのかもしれません。
この曲は、1990年代から2000年代にかけて、とても有名になり、多くのアーティストが、あの特徴的なリフをサンプリングしています。
けれども、その頃は、まだ、ごく一部のヒトしか知らない、超マニアな曲でした。
僕は、その曲の情報を渇望しました。
彼は、すでに外国に旅立っていました。
だいたいその頃の自作ミュージックテープには、曲名もアーティスト名も、書いてないものが多く、
もらったテープも、
そもそも、テープだけで、ケースもなく、
たぶん、その直前まで、彼がウォークマンで聴いていたモノを、僕にくれただけなので、
何の情報もありませんでした。
ところで。
DJにとって、曲は命です。
しかも、自分で見つけたものは、おいそれと情報公開しません。
例えば、ローカルサーファーが、
極上のビーチを、仲間だけのシークレットにするように。
彼は、とても良いヒトなのですが、
彼にその曲名を聞くわけにはいきません。
もちろん、聞いたら教えてくれたと思います。
でも聞けませんでした。
彼は、その時、日本にいなかったからです。
そんなわけで、その曲を、例えば、レコード屋の店員に聞いてもらったり、知り合いのDJに聞いてもらったり、
けれども、なかなか、わからず、
悶々とした日々を過ごしていた、あるとき、
突然、分かったのです。
かつて六本木に、「temps」というソウルバーがありました。
伝説の店です。
そこで音を聞いていたとき、突然、この曲が流れてきたのです。
流れた瞬間、
空気が変わり、
景色が広がり、
涙が溢れてきました。
知ってみれば、ビルボードソウルチャートにもランクインした、けっこう名の知れた曲でした。
いわゆるディスコで、チークタイムのときに流すような、そんな曲。
演奏しているのは、イギリスのソウルグループ。
どうりで、どこか、クールなのです。
しかも、ほぼ一発屋。
とはいえ、しばらく、僕のDJのクロージングは、この曲、というぐらいお気に入りでした。
ネットの時代、
youtubeの時代、
配信の時代、
その便利は、すごく嬉しいのですが、
あのとき、
探しても探しても分からず、
飢え、渇き、
そして、
あるとき、
偶然にも、
老舗のソウルバーで、探し求めていた曲が流れてきた瞬間の、
めくるめく、
高揚感と多幸感は、
たぶん、不自由な時代だったからこその、
特大のシアワセだったのです。
だからこそ、この曲は、
僕にとって、
特大の特別な曲なのです。
そして、freesoulという一大ムーヴメントは、
一人ひとりのDJが、
まだ見ぬ高揚感と多幸感を追い求め続ける行為、
さらに言えば、
一人ひとりは、けっして、
すべてが、超有名でない、
ただのレコードオタクの、
スクラッチもままならない、
ただのvinylオタクの、
しかも、
安レコしか買えない、
ただの貧乏な若者の、
言ってみれば、
B級レコード御用達DJだったからこその、
安レコのなかに、人知れず眠っていた永遠の名曲を、
自分だけの名曲を、
懸命に、
真摯に、
地道に、
不器用に、
見つけ出す行為の集大成だったのだ、と、思います。
「数ある「oh honey」使いのなかで、ダントツ、オススメは、トレリーニ「I Wanna Be Yours」です。
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