今こそ聴きたい80年代夏歌名曲選〜現役DJが選ぶワモノシティポップ〜Vol.2

 

フリーソウル、レアグルーヴの時代からDJとして、現場にいた感覚をもとに選んだ1970年代から1980年代にかけての、珠玉のジャパニーズシティポップを紹介する

今こそ聴きたいジャパニーズシティポップ 夏歌名曲選

free and…summer’s song masterpiece

 

今回は、夏歌に絞ってお届けします。

まずは、この曲から。

 

 

夏の恋人 竹内まりや 1978

竹内まりやのファーストアルバム「BEGINNING」のA面3曲目。

作詞、作曲とも山下達郎です。

たぶん、山下達郎が他のアーティストに提供した楽曲のなかでも最高峰の一曲でしょう。

最初の入りから、すでに名曲感を漂わせています。

真夏のプールサイドで〜 ですよ。

揺らぐような編曲がさらに夏の空気を演出しています。

しかも、題名が「夏の恋人」ですよ。

恋人の夏、では、ないのです。

夏の恋人なんです。

一瞬なのです。

そして永遠なのです。

 

山下達郎が、どれだけ、この曲に命をかけたか、が分かる出来です。

もしかしたら、この曲が、プロポーズの言葉だったのかも、というぐらいの邪推をしてしまう、

それほどの名曲です。

 

カレン・カーペンターのような、若干低めの竹内まりやの声質と曲調が、素晴らしくマッチしています。

竹内まりやは、このぐらいのミディアムテンポの楽曲に、隠れた名曲多し、です。

 

 

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windy summer  杏里 1982

 

1980年代初頭は、誰もが海を目指していました。

ネアカ、ネクラといった言葉が飛び交い、

イケてる若者は、ほぼ全身真っ黒。

サーフィン、スケボーをたしなみ、ポパイを愛読し、AORを聴きまくり、カフェバーでビリヤードをやり、

といった、いわゆる「クリスタル」な生活が、ひとつの若者像として、確かにあった時代でした。

たぶん、日本自体に、夏に向かう圧倒的な熱量がみなぎりはじめていたのだと思います。

だから、海、だったのです。

この杏里の歌も、そういた時代のアイコンです。

でも、今、聴いても、とてもよく出来ています。

心が踊るのです。

 

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スパークル 山下達郎 1982

 

これはもう、完全不滅の夏ソングでしょう。

とにかく、1980年代初頭には、こんな言葉があったぐらいです。

「夏だ! 海だ! タツローだ!」

この楽曲も、とにかくよく出来ている、としか、言いようがありません。

最初の、山下達郎本人のギターカッティングから、死にます。

テレキャスの音でしょう。

ちなみに、この曲が入っているアルバム「FOR YOU」のジャケット絵も、大滝詠一「ロンバケ」とともに、永遠の夏ですね。

 

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 オーシャン・サイド 菊池桃子 1984

菊池桃子、というプロジェクトは、1980年代のアイドル業界で一番成功したプロジェクトかもしれません。

アイドルでありながら、アーティスト。

アーティストでありながら、超売れ線。

超売れ線でありながらサブカル。

サブカルでありながら王道。

 

林哲司、オメガトライブ、バップレコード、スペクトラム、ラ・ムーといったワードが浮かんでは消えます。

まさにこの曲の入ったアルバム「オーシャン・サイド」のジャケットのように、菊池桃子は、80年代、クレバーに浮遊していました。

この菊池桃子特有のクレバーな浮遊感覚は、彼女のボーカルスタイルにも関係があるのかもしれません。

今、世界中で、菊池桃子、オメガトライブのレコードが熱望されています。

特に「ラ・ムー」関連は、再発が出るほどの人気です。

 

ということで、

かつて、

どの街のハードオフに行っても、

菊池桃子のレコードが、何枚も何枚も、

 

店の奥の奥の、そのまた奥の、

ジャンクコーナーの青いコンテナ箱に、

死んだように雑然と押し込められていた頃が、

少しばかり、懐かしく感じられるのです。

 



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リヴァース・アイランド 杉山清貴とオメガトライブ 1984

 

角松敏生、杉山清貴とオメガトライブ、といった路線は、これまで、結構、冷遇されてきた感があります。

こうしたアーティストのレコードは、

ゼロ年代には、

先ほどの菊池桃子ではありませんが、

ある意味、

ハードオフのジャンクコーナー常連でした。

どこの街のハードオフに行っても、

彼らは律儀に、僕を、待っていてくれました。

もちろん、他にも、さだまさし、松山千春、といった絶対王者もいたのですが。

 

このオメガトライブ、というプロジェクトも、まさに、80年代、という感じです。

ある種の軽さ、というか、能天気さ、というか、ミーハーさ、が、いかにも、

海、サーファー、恋、という感じがストレートに表現されていて、

角松敏生とともに、いわゆる音楽通には、ある種、誤解されていた感は、あります。

ただ、2020年代の耳で聴くと、

サウンドプロダクトはさすがにしっかりと練られていて、

当時の、欧米の流行りの音をすかさず拝借するその姿勢は、逆に微笑ましいとさえ、思います。

先ほどの菊池桃子と同じく、バップ戦略の勝利でしょうか。

 

何よりいいのが、

とにかく、まっすぐ、何のてらいもなく、

海、夏、恋、リゾート、といった、いわゆる、ちょっとバブリーな、決して終わらない夏、薔薇色の未来を素直に受け入れていた、その精神でしょうか。

 

夏が、永遠に続くと、無邪気に信じていた時代のアンセムが、オメガトライブであり、角松敏生なのです。

 

 

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icebox&movie 二名敦子 1984

 

二名敦子も、リゾートブームに乗ったひとりでしょう。

 

もともとは、結構歌謡曲よりのコンセプトで、デビューし、その後、大変節して、

すごいマニアックなボサノバ・レアグルーヴ系のレコードを出し、

そして、またもや、大変節して、

ようやくリゾートという安住の地にたどり着いた、

まさに、苦節何年(演歌歌手か。。。)の、苦労人なのです。

二名敦子の楽曲には、このあと紹介する門麻美にも通じますが、いい意味でのB級感があります。

そのわりには、二人とも、レコードもたくさん出しているし、それなりに評価もされていて、80年代の、アイドルとアーティストの中間、といったポジションをしっかりキープしていました。

彼女たちのレコードも、

かつては、ハードオフ、ジャンクレコードコーナーの常連でした。

それどころか、大滝詠一、荒井由実(松任谷由実)、山下達郎、あたりも、かつては、青いコンテナ箱に、無造作に押し込められていた時代がありました。

それどころか、ビートルズさえ、100円だった時代がありました。

レコードは、完全な粗大ゴミ、完全なオワコンだった時代。

全国のハードオフを旅をしながら、レコ堀りしていた時代。

100円で買える幸せを享受していた時代。

夏の昼下がり。

そんな旅をつらつら思い出しながら、

二名敦子の涼しげなレコジャケを眺め、ライナーノーツ片手に、ちょっとイナたいボーカルを聴いていると、

やっぱりレコードっていいなあ、と、

心の底から思えてくるのです。

 


高中正義 ブルー・ラグーン 1979

これも、完全不滅の夏歌、でしょう。

高中の、SGのギター音は、明快でいながらも、陳腐ではないのです。

クリアでいながらも、複雑なのです。

メジャーでありながらも、孤高なのです。

軽薄そうで、実はクレバーなのです。

 

だから、夏になると、

何度でも、

いつまでも、

繰り返し、

ターンテーブルに乗せ、

回したくなるのです。

 

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maui  松田聖子 1984

 

松田聖子は、DJ的観点からいっても、語ることが多すぎるアーティストです。

もうすでに、ジャパニーズシティポップの先駆者としての評価も定着しており、

はっぴいえんど人脈総出の一大プロジェクトであり、

そして何より、歌謡曲でもあり続け、

いわゆるワモノとしての、エクゾチックさも持ち合わせ、

思い出の青春歌謡でもあり、

2020年の耳からの再発見曲でもあり、

 

といった、万華鏡のように、さまざまな切り口を、

松田聖子、というプロジェクトは、いまだに僕たちに見せつけています。

今回は、1984年の冬に出た、通算10枚目の「Windy Shadow」というアルバムの、B面2曲目の、

作詞、松本隆の楽曲をセレクトしました。

まったく冬に似合わない、

真夏のリゾート曲という、アンバランスさが、とても素敵です。

というか、

もしかしたら、すでにこの頃から、

正月はハワイで、

というライフスタイルが、

一般人にも浸透し始めて、

それを見越した、冬アルバムのハワイリゾート曲なのかもしれません。

なんといっても、仕掛け人は、松本隆ですから。

 

 

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角松敏生  OFF SHORE 1982

角松敏生も80年代を席巻した夏男の代表でしょう。

ややもすると、そのルックスの良さゆえに、

ミーハー的な、

アイドル的女性支持が高いということで、

男性の音楽好きからは疎んじられることもあり、

どちらかといえば、音楽性も、フェイク的な、

そんな感じで捉えられていた感は否めません。

とはいえ、彼は、実は、結構、ストイックであり、アーティスティックであり、

そのルーツには、はっぴいえんどがあり、

山下達郎への憧れを常に胸に抱きながらも、

世間からは、山下達郎のフェイクとも捉えられ、

少しばかり誤読されていた部分もありました。

 

けれど、2020年の耳で聴くと、

彼自身の曲だけでなく、

彼がプロデュースした楽曲は、

杏里にしろ、中山美穂にしろ、

どれも、いい感じな音を作っていて、彼がいわゆるジャパニーズブギーの第一人者だったのだなあ、と、

改めて思います。

この「offshore」は、角松敏生が初めてセルフプロデュースしたアルバム「On The City Shore」A面一曲目に入っている曲です。

ジャケットを含めて、なかなか気持ちよい曲が並んでいて、DJ的にも使える曲多しの、おすすめです。

 

 

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魔法のカーペット 中原めいこ 1984

 

中原めいこは、もっと再評価されてもいいアーティストでしょう。

もちろん「キウイ・マンゴー・パパイヤ」の大ヒットはありますが、

でもそれだけではなくて、

というか、彼女のアルバムは、どれも、とても高品質で、いわゆる使える曲、名曲が、とても多いです。

そのなかでも白眉なのは、やはりこの曲でしょうか。

いわゆるナイトインニューヨーク、エルボウボーンズネタの楽曲としては、世界中を見渡しても、1位、2位を争っている、そんなクオリティを誇っています。

アレンジもスペクトラムの新川博が、きらびやかな中にも、抑制の効いている、2020年の耳でも十分楽しめる音を聴かせてくれます。

 

 

 

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keep on loving   門あさ美 1979

 

ハードオフは、レアグルーヴの隆盛に一役買った、と、常々思っています。

 

かつて、

ハードオフは、レコハンターの隠れた、そしてある時期は、全世界的に見て、最高の猟場でした。

この情報は、DJは皆、固く口を閉ざして、なかなか表には出てきませんでした。

僕たちDJは、1990年代から、

全国津々浦々、

まだ見ぬ(聴いていない)、

ビニールの溝に眠っている、

魂が震えるような名曲を求めて、

全国のハードオフを旅していました。

1990年代、そして2000年代。

人々は、レコードを持て余し、

持ってけドロボー的に、ハードオフに投げ売りしていました。

ハードオフの店員も、

ただの粗大ゴミだったレコードを、

まったく選別することなく、

買い取ったものはすべて、

そのまま横流し状態で、

LPはオール100円、シングルは50円で、ジャンクコーナーに押し込んでいました。

 

2000年代になると、

廃業した中古レコード屋や貸しレコード屋の膨大な案件が、

ハードオフのジャンクコーナーに山積みされることもありました。

それはそれは、夢のような光景でした。

そんな場面に、偶然出会すと、

時間も忘れ、

ただただ床に這いつくばりながら、

レコードを抜き続けるのでした。

 

僕たちDJは、

もちろん、全国の骨董市、リサイクルショップや、もっとすごい、世界の終わりのような廃品回収屋の倉庫なども、

当然、

猟場としていましたが、

そうしたところに比べ、

ハードオフは天国でした。

まずは、相対的に、

すごく清潔で、

しかも、

夏は冷房まで効いていました。

蚊もいません。

手も、そんなに汚れません。

いつまでいても、何も言われません。

そして会計は、

いつも明朗、

一枚、100円です。

 

山下達郎も大貫妙子も、佐藤博も、そうした、今や、垂涎といったレコードたちも、オール100円で、

しかも、1週間後に再び訪れても、まったく抜かれた形跡もない、

そんな、

あえていえば、ノースショアの波を独り占めしているかのような、

そういう時代が、確かにありました。

 

そうしたなか、

この門麻美や、亜蘭知子、または彩恵津子、といったあたりの、80年代、ヤングアダルト系の女性シンガーのレコードは、どこの街のハードオフにも、常連として僕たちを、待っていてくれました。

僕たちは、そうしたレコードを、とにかく、手当たり次第買い漁り、聴きまくり、

例えば、一枚のアルバムに一曲でも使える曲があれば、ニヤリとする、そんな日々を送っていました。

一枚、100円。

オール100円。

ビートルズでも、ニールヤングでも、大滝詠一でも、山下達郎でも、

あるいは、東北新幹線でも、間宮貴子でも、

全部、平等に100円。

この潔さが、ハードオフを、レコハンターの隠れた聖地にしていたのです。

門麻美。

ちょっと謎めいたお姉様。

この曲は、彼女のデビューアルバム、「ファッシネイション」A面3曲目に入っています。

 

 

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板橋区音楽

 

今回の選曲は、主に「板橋区音楽」の住人の楽曲を集めました。

 

板橋区音楽。

 

違う記事でも、勝手に日本の音楽史のディケイドを命名させていただいてしまったのですが、

1973年、「港区音楽」が誕生する。

1975年、「新宿区音楽」が誕生する。

そして1981年、ロンバケ、ヤマタツの、空前のシティポップ、リゾート音楽の大ブームを受け、

「板橋区音楽」が誕生する。

 

これが持論です。(異論は認める、って、、2ちゃん、、か。。)

 

1973年に、はっぴいえんど人脈+荒井由実が始めた壮大な音実験、都市音楽・シティミュージック・日本独自のポップミュージックを作り上げるという崇高な実験が、その後、後輩である「新宿区音楽」の住人を巻き込み、新たな地点に飛躍し、

そうした試みの結晶が、一応、完結を見たのが、1980年代初頭のロンバケ、ヤマタツ、松田聖子ブームだった、という仮説です。

その後、「板橋区音楽」の住人たちが登場します。

彼ら、彼女が、本記事の主役です。

角松敏生、杏里、オメガトライブ、菊池桃子、等々。

 

彼らは、いわゆる普通の人たちに、

普通の人、というのは、

例えば、板橋区高島平に住む、中学3年生男子、とか。

例えば、板橋区常盤台に住む、23歳のOL、とか。

そうした人々に、

ある種、難解だった港区音楽、新宿区音楽を、

きれいにパッケージして、わかりやすく、噛み砕いて、あるいは希釈して、提示してくれました。

それは、

ファミリーレストランの食事のように、

たくさんの人々に受け入れられ、

大きな商売となり、

その流れが、

後に、JーPOPへとつながっていくのだと思います。

 

 

 

(名曲選・これまでの記事)

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