今こそ聴きたい「ジャパニーズシティポップ」名曲選 Vol.1
今こそ聴きたい「ジャパニーズシティポップ」名曲選
今回は、この曲から。
太田裕美 サマー・タイム・キラー 1979
太田裕美は、なかなか立ち位置が決まらないところがあります。
とはいえ実は、彼女がいたからこそ、松田聖子が誕生したといってもおかしくはない、ぐらい重要なアーティストです。
いわゆる歌謡曲とシティポップのミッシングリングと言えるでしょう。
そして、この「サマー・タイム・キラー」が、たぶん彼女の、いえ、1970年代を通じても、ベスト3に入ってもおかしくないぐらいの、シティポップ大名曲なのです。
ところで、松田聖子は、すでに元祖シティポップとして、きっちり再評価されています。
彼女の楽曲は、はっぴいえんど、松任谷由実など、いわゆる港区音楽(ニューミュージック)と歌謡曲(ドメスティックフォーク)の幸せな融合の、最高の到達点です。
けれど、その松田聖子に到るまで、さまざまな試みがなされてきました。
その代表格が太田裕美なのです。
太田裕美の初期ブレーンは、筒美京平と松本隆、そして浜田光雄です。
この3人が関わっていた太田裕美初期プロジェクトにも、プレシティポップと呼んでいいような楽曲がいくつもあります。
例えば「木綿のハンカチーフ」大ヒットの余勢を駆って1976年発売された「手作りの詩集」の中に入っている、
「オレンジの口紅」とか、
「青いサングラス」とか。
とはいえ、この時期、まだ太田裕美はいわゆる「木綿のハンカチーフ」に代表される青春歌謡を歌うニューミュージック寄りの歌謡界アイドルでした。
ということで、心機一転を図ったのが、
この曲の入っている、
1979年の「フィーリン・サマー」です。
これまでの筒美京平ー松本隆から離れ、新たな地平へ旅立った最初のアルバムです。
作詞は主に来生えつこ、作曲はクラフトの浜田金吾。レコーディングエンジニアは、吉田保。
このアルバムA面2曲目がこの「サマー・タイム・キラー」。
アルバム代表曲でもあり、その名の通り、キラーチューンでもあります。
アレンジ、詞、曲、そしてボーカル、そのすべてが、ひと夏の、ある瞬間の、それでいて、気怠くも幸せな永遠を見事に表現しています。
特にすごいのが詞です。
この詞を、僕はつい最近まで、来生えつこのもの、と思っていました。
南佳孝の、あの大傑作「SOUTH OF THE BORDER」を彷彿とさせる作詞に、さすが、来生えつこだなあ、と感心しながら聴いていました。
ところが、久しぶりにレコードを取り出して、ライナーノーツを見返したら、この曲に限っては、作詞は、なんと、太田裕美本人でした。
驚くと同時に、なんとなく納得もしました。
確かに、よく聴くと、いわゆるプロの作詞家がなかなか使わない禁じ手がけっこう散りばめられています。
まず、最初から、「たとえば〜」です。
途中にも、
「異常なほどの〜」
とか、
「さしずめ〜」とか。
とどめは、「浮き沈みする細い足首〜」ですよー。
これは、職業作詞家では、なかなか書けない、いわゆるアマチュアイズムの極め、のような表現でしょう。
さらに良いのが、女性が男性目線で書いているところです。
だから、浮き沈みする細い足首、とやっても、どこか生々しくないのです。
ということで、
この曲は、前にも書きましたが、
夏の、ひと夏の、
ある瞬間の、
ある刹那の、
気怠い渇き、
それでいて、永遠の、
止まった時間の、
そこだけに張り付くことのできる、しあわせ、
を見事に表現しつくした、
そんな名曲だと思います。
高中正義 SEXY DANCE 1977
高中正義は、一時期、完全に夏男でした。
特に彼のギターの音色は、完全に夏でした。
そんな夏男の面目躍如なジャケ写、いわゆる「高中40」の道路ジャケの一曲目がこれです。
ところで、高中正義には、
東大を目指していたほどの秀才で、でも学校群制度で、日比谷に行けずに九段に回ったことが納得できなかったり、
デビューのきっかけが、エイプリルフールの米軍キャンプライブで、酔っぱらったメンバーが、「誰か、代わりにギター弾いてくれ」と言われて、学生服で飛び入り参加したり、という、
なんとも、60年代〜70年代初めらしい凄まじいエピソードもあります。
とにかく、彼の、抑制の効いた、それでいて、ポピュラリティ溢れるギターフレーズは、やはりクレバーとしかいいようがありません。
さらに、彼のギターは、
そのどこまでも、青空の向こうまで、キレイに伸び続けるその音色は、
1970年代終わりから80年代にかけての、
あの、日本中が浮き立っていた時代、
海だ、夏だ、サーフィンだ、といった、
誰もが真っ黒で、勢いのあった時代のアンセムでもあります。
サーカス プティ・デジュネ 1981
ところで、プティ・デジュネとは、朝食、それも、遅い朝食、の意味だとか。
そういえば、この曲の副題には、(日曜日の朝食)とあります。
サーカス、というグループも、なかなか一筋縄には、いかないグループで、もちろん、アメリカンフィーリング、とか、Mrサマータイムとか、大ヒット曲もあるぐらい、やはり立ち位置は、ほぼ歌謡曲なのですが、たまに、とてつもないセンスのある曲が、歌謡然とした曲の並ぶアルバムのなかに、ポン、と置かれていることがあります。
この曲もそうでした。
とはいえ、この曲の入っている「FOUR SEASONS TO LOVE」というアルバムは、ジャケ写も素晴らしく、だいたいジャケ写の良いアルバムは、いい曲が入っている、というのがDJの常識なのですが、この曲は、まさに、そのジャケットにふさわしい、清々しい曲です。
やはり、詞がとても素敵です。
彼氏にも会わない、
本当に自分だけの休日。
なにも予定のない、
都会に働く女性の、
忙しい日々に、ポッカリとあいたオアシスのような
自分だけの、
静かな安寧。
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南佳孝 プールサイド 1978
まず、来生えつこの詞にヤられます。
先ほどの太田裕美の詞がアマチュアイズムの最高傑作とすれば、これはプロ作詞家の最高傑作なのでは、というぐらい、素敵です。
その詞に負けないのが、南佳孝の曲、ボーカル、そして、はっぴいえんど人脈のアレンジ、演奏、さらには、池田満寿夫のアルバムジャケットデザインです。
そのすべてが、とても高い極みで融合していて、たぶん、日本の、夏曲の、夏アルバムの最高峰でしょう。
ところで、僕の自慢は、湘南の音楽バーで、南佳孝の前でDJをしたことがある、ということです。
レアグルーヴ系を数曲かけたところで、「代われ」と言われてしまいましたが。
その後、彼は、ビートルズやストーンズを気持ちよさそうにかけ続けていました。
Hi-Fi-Set 夏のフィオーレ 1987
1970年代初頭、まだ日本の音楽が黎明期だった頃、最初にスターダムにのったのが、岡林信康、5つの赤い風船、そして赤い鳥でした。
岡林の系統は、ドメスティックフォーク、あるいは演歌方向に、5つの赤い風船の系統は、いわゆるサイケデリックフォークロックに、そしてどちらも、いつの間にか歌謡界に吸収されていきましたが、おもしろい動きをしたのが、赤い鳥でした。
赤い鳥の代表曲といえば、「翼をください」でしょうか。
ただし、これは最初「竹田の子守唄」のB面でした。
「翼をください」はいわゆる村井邦彦、のちの「港区音楽」の仕掛け人が仕掛けたいわゆるソフトロックの名曲です。
「竹田の子守唄」は、日本の伝統的な旋律、リズムを、あるいはそこに流れる思想を、いかに現代の音として蘇らせるか、といった1970年代初頭の実験のひとつです。
のちには、大村憲司、村上秀一が在籍するなど、1970年代初頭では、加藤和彦とともに、重要な役割を果たした赤い鳥ですが、その後、ふたつのバンドに分かれたことは、周知の事実です。
そのひとつが、ファイファイセットで、2020年の耳で聴いても、なかなかの曲を、その長いキャリアの中で残してくれています。
この曲は、1987年のアルバムに入っている、どこかしら、音の佇まいが、90年代に近づいている、そんな曲です。
ただ、ハイファイセットの、どこまでも洗練された上品さが、しっかりとキープされていて、とても心地良いグルーヴがあります。
これも、詞がいいです。
良い曲は、間違いなく、詞がいいです。
ちなみに、フィオーレ、とは、スペイン語で、花のことだそうです。
二名敦子 トワイライト 1985
70年代の音楽がおもしろいのは、誰もが、試行錯誤していたところでしょうか。
急激に成熟した日本社会にふさわしいBGMを求めて、特に港区音楽の住人や、それに続く新宿区音楽の住人たちが、自分たちの都市音楽を、手探りで作っていたのが、70年代です。
だから、1970年の音楽はおもしろいのです。
そして今でも人々の心を捉え続けるのです。
イナたい、ホッとする隙間のある、それでも、それだからこそ、心の奥底に、ガツンとくる、どれも魂がこもっている、
そんな感じが、70年代音楽の特徴といってもよいのではないでしょうか。
けれど、80年代に入ると、方法論はほぼ出揃いました。
あとは、それぞれの方法論をピースに解体し、コピーアンドペーストしながら、曲を作り上げていく時代になりました。
それは、実は、2020年の今も、さほど変わっていません。
1985年の、この曲も、とても完成された素晴らしいものなのですが、やはり、どこか既視感もあります。
とはいえ、もちろん、それは二名敦子のせいでは、まったくないのですが。
クラフト 夜の銀河鉄道 1975
それは、この曲を聴くと分かります。
これも洗練されつくされていない、
でも、どこか、心を捉えて離さない、雰囲気。
クラフト、というグループは、いわゆる再評価にはのりきれない、歌謡フォークバンドです。
とはいえ、どこか、自分たちの都市音楽を作ろう、という気概も感じられるグループでもあります。
まあ、浜田金吾が在籍していたバンドなので、もともとは、そっち系だったのかもしれません。
この曲は、彼らの最大のヒット曲さだまさし作「僕にまかせてください」の入っているセカンドアルバムのB面最後の曲です。
だいたい、レコードを買ってくると、イントロだけ針を落としながら、超高速で聴くのですが、このアルバムは、もともと、ハードオフで、100円で買ったもので、大して期待は、していなかったのですが、やはり期待外れで、ほとんどが、ドメスティックフォーク系でした。
ああ、やっぱりダメだったなあ、とB面最後まで来て、そしてイントロに針を落とした瞬間、
時間が止まりました。
結局、この曲のみ、最後まで聴けたのでした。
見ると、アレンジが、柳田ヒロ。
なるほど、と思いました。
浮遊感のある、素晴らしいアレンジです。
夜の銀河鉄道、の雰囲気を、とてもうまく表現しています。
とにかく柳田ヒロ、ってヒトは、すごいです。
ブランドと、いっていいです。
間違いありません。
そういえば吉田拓郎の「金曜日の朝」も、アレンジは柳田ヒロでした。
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ミルキー・ウェイ クラウディ 1975
そして、この曲です。
これは、永遠の名曲です。
なにが、すごいって、すべてがすごいです。
最初のエレピの音。
ギターのアルペジオ。
高音で澄んだボーカル。
ドラムのフィルイン。
そしてスキャット。
重なり合うハーモニー。
とにかく夢見心地で、
一瞬にして、別世界です。
そのテンションは、
最後の、子供たちのざわめきで、カタルシスを迎えます。
これは、はっきりいって、
永遠の、
けれど、刹那の、名曲なのです。
ワンアンドオンリーな、
突然、
演っている当人たちも、予測もしなかった、奇跡が、
本当に突然舞い降りた、
そんな一曲なのです。
ミルキーウェイというグループ、
残念ながら、この曲のみです。
あとは、どうして、というぐらいに、ドメスティックフォークです。
だからこそ、こうした曲を発見したDJたちの文化、というのが、僕にとって、とても誇りに思うのです。
最後の子供たちのざわめき。
男の子が、ヘンシン、と言っているのが、とても微笑ましいです。
久保田真琴と夕焼け楽団 1977 星くず
1970年代を通じて、この久保田真琴、というヒトの存在は、とても大きいです。
細野晴臣と同等といえば、その凄さがわかるでしょうか。
URCレコードに残した「アナポッカリマックロケ」という楽曲からして、1969年当時の英米の最先端音楽に引けを取らない、世界最高峰の楽曲の一つで、今聴いても、まったく古くありません。
そして、ソロアルバム、サンセットギャング、さらには、夕焼け楽団、と、その時々の最先端を、それも日本に止まらず、世界的に見ても最良の音楽を作り続けていました。
そんな久保田真琴の、傑作のひとつが、この「星くず」です。
ぜひ、目を閉じて、揺らぐようなリズムに身を任せてください。
たぶん、耳もとで波の音が聞こえてきて、南の島の満天の星空が、眼前に広がることでしょう。
ロココの風車 1975 愛のコーラス団
これもまたDJ文化が見つけた、隠れた名曲です。
DJの、飽くなき良い音楽への希求が、この曲、そしてこのアルバムを発見したのです。
このアルバムには、他にもたくさん、良曲が入っています。
そして演奏は、細野晴臣です。
1975年らしく、
イナたく、けれど、都市音楽としての洗練も含みつつ、魂のある音楽です。
有山淳司 ほら、あんな月まで ブルームーン 1977
1970年代初頭、東京で港区音楽が始まっていた頃、関西では、ディラン音楽が始まっていました。
喫茶ディランに集っていたヒトビト、例えば、
大塚まさじ
西岡恭三
永井よう
中川イサト
友部正人
このあたりの人々の音楽は、東京の港区音楽の人々の音楽に負けず劣らず、滋味溢れる、素晴らしい音楽です。
そうした大阪人脈の一人が、有山淳司です。
彼のギターは戦前ブルース、またはブリティシュトラッドなど、様々な良質音楽のエッセンスが、一音一音に詰まっています。
そして、永遠の青年のようなボーカルにやられてしまいます。
これもずっと聴いていたくなる音楽です。
バイバイセッションバンド 夕凪少女 1978
これもまた、発掘楽曲です。
「サウンドインゴロー」という、篠山紀信の写真誌の企画で出されたアルバム内の一曲です。
バイバイセッションバンドは、リリィのバックバンドでもありますが、とにかく名うてのミュージシャン集団です。
まさに、夏の、夕凪の、一場面を掬い取った詞、ボーカル、演奏です。
こうした曲が眠っているから、レコ堀りはやめられないのです。
ちなみに、このアルバム、ジャケット写真も素晴らしいです。
南佳孝 夏の女優 1978
スティールパンの音色が、まさに夏、といった感じの、南佳孝の傑作「サウスオブボーダー 」のA面1曲目。
しかし、1970年代の日本音楽の豊潤さが、この1曲を聴いただけで分かります。
夏のはじめは、誰にも、やってきます。
夏の終わりも、誰にも、やってきます。
永遠の夏。
刹那の夏。
すべての思考を奪いとる夏。
なにかを期待してしまう夏。
そして、切ない夏。
日本の70年代の音楽は、たぶん、夏に向かっていたのです。
だから、どの楽曲も、
永遠であり、
刹那であり、
切ないのです。
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