WEB/STORY「哀しき70’s Kids」ch.5
「そうだった。染谷は英語係だった」
次の日もそのまた次の日も雨だった。
謎の転校生、蕪谷樹一郎は未だ一度も学校に来ていない。
佐島は、ハッハッ、あの野郎、俺のことが怖くて学校に来れねえでやんの、ハッハッ、東京野郎はナヨナヨしててよ、モヤシ以下だわ、キンタマなんかついてねえんだろ、と下品な言説を吐き、女子から白い目で見られていた。
坂下は学校を休んでいた。
風邪、ということだった。電話は休みの連絡だったのだろうか。
ダースコの部活ズル休みは続いていた。僕とヤマさんはいつ忠告してやろうか、その機会を伺っていた。
chaper.4
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WEB/STORY「哀しき70's Kids」完全オリジナル未発表小説1975年。。僕たちは、たったの中学3年生だった。。。当時のヒットソングとともにお届けする青春群像[…]
そんなことを考えながら自分の席に座っていると、なんと染谷美保が僕の方に歩み寄って来るではないか。にわかに心臓がドキドキしはじめた。
彼女は僕の前に立つと申し訳なさそうに僕の名を呼んだ。
「岸田さん」
しかし僕はムスッとした声で横を向きながら「おう」と返事をするのみである。
いつもこうである。
彼女とは目を合わせて話すことができない。話す場合もなぜかムスッとしてしまう。すると話し終わった後、そんな自分に後悔するのである。
でもこれは僕だけではない。
社交的なヤマさんはともかく、いつもへらへら女子にからんでいるダースコも、染谷の前ではなぜか無口だ。
たぶん、緊張するからだろう。超美人になかなか彼氏ができない、という俗説はけっこうこのあたりの微妙な男性心理からきているのかもしれない。
チラッと見ると彼女はまだ微笑んでいる。彼女の背景が光り輝いている。
「岸田さん」
染谷がまた僕を呼んだ。シルクのように柔らかく、羽毛のように心地よい声である。何度でも呼んでくれ、と思いつつも、「おう、なんだ?」と心とは裏腹にまたまたムスッと答える。
「英語の宿題…」
申し訳なさそうに染谷は言った。
そうだった。
彼女は英語係だった。宿題を集めて先生のところへ持っていく係だった。
僕は机の中をごそごそさせてノートを差しだした。
彼女は微笑みを浮かべたまま僕のノートを受けとると、スカートをひらりとさせて自分の席に戻っていった。
「ようやく、バンドができるんだ。ようやく」
日曜日になった。
僕とヤマさんとダースコは中学校前の駄菓子屋andパン屋に集まっていた。バンド計画を最終的に詰めるためである。
ヤマさんは演説口調でこう切り出した。
「では問題を整理します。まず我々の原点を明確にする必要があるかと考えます。
それは旅人南中始まって以来の学校祭バンド公式出演を果たしたいという夢である、ということであります。
が、しかし秋の学校祭ということはそろそろ練習を開始しないと間に合わないということです。
もちろん楽器も必要ということです。もうひとつは楽器を弾ける者から手ほどきを受けることが必要っちゅうわけです。
となると考えられるのが、あの転校生の存在です。
つまり蕪谷樹一郎君をわれわれの仲間に引き込む、と、それが一番現実的でよかろうか、とそう思うわけであります。まんずその辺から検討していきましょうや」
僕とダースコはそれぞれうなずいて、それぞれ買ったパンを頬張りながら思案タイムに入る。
ヤマさんの言うとおりではあろう。
蕪谷が僕達のバンド・プロジェクトに参加すれば学校祭出演も確かに夢ではなくなる。
しかしあいつがバンドに加わる可能性はきわめて低いのではないか。第一あいつの傲慢そうな顔を思い出すと、もうそれだけで頼む気が薄れてしまう。
「つまりだ」とハムカツパンを食べ終わったヤマさんがみんなの思案の頃合を見定めて言った。
「やっぱり、あの転校生を仲間に引き入れるしかないんとちゃうか? 一番現実的だと思うんだがなあ。どう思う、ダースコ?」
話を振られたダースコは、けれどあせるふうもなく、頬張っていたメロンパンをゆっくり飲みこんで、恐ろしく衝撃的な発言をした。
「そうだな、俺はな、女を入れたほうがいいと思う」
「オンナー!?」
僕とヤマさんは同時に大声をあげてしまった。
と同時に口に入れていた、僕は焼きそばパンを、ヤマさんはチェリオを土間に吐き出してしまった。
駄菓子屋のオバちゃんがギロリと睨む。
「女、って、あの、女、か?」と僕。まったく無意味な発言だ。
自信ありげにうなずくダースコ。「そ、その、女、だ」
「俺らのバンド、にか?」とヤマさん。
「そ、俺らのバンドに、だ」
ヤマさんも僕もウーンとうなった。
ダースコが話を続ける。「な、そのほうが楽しいだろ。
だってよ、夏休みなんかよ、みんなで合宿なんかしてよ、すっとさ、たぶん夜なんかお酒なんか飲み出してよ、すっとさ、女も酔っぱらっちまってよ、すっとさ、あーん、私、もうダメ、ダメ、でも、ダメよ、ダメよもいいのうち、ってよ、俺が先輩に貰ったエロ本に書いてあったぜよ、な」
とダースコ、話しているうちにだんだん興奮してきたらしい。声が大きくなってきて、するとオバちゃんがまたまたギロリとにらむのだった。
「コホン」ヤマさんが体勢を立て直す咳をしてから言った。
「えー、ただいま、ダースコ君から画期的な動議が出されましたが、えー、岸田君、キミはどう思いますか?」
そう振られてもすぐに考えなんかまとまるもんじゃない。
「ということは、だ、ダースコ、女っていっても具体的にだな、誰をメンバーに入れるんだ?」僕は苦し紛れにそう訊いた。するとダースコ、待ってましたとばかり、声を張り上げた。
「そりゃあ決まってるだろ。染谷美保さんだ」
僕とヤマさんはあまりの衝撃で、それぞれ口に入っていた焼きそばパンとチェリオをまたまた土間に吐き出してしまった。
ついにオバちゃんの怒りが炸裂した。
「あんたら、いい加減にしな!」
店を追い出された僕達は、仕方なく中学校の校庭へ自転車を乗り入れ、鉄棒近くのベンチに腰をかけた。
「でも、なあ、ダースコの提案はあんまりにも突拍子ないんじゃないか、第一染谷が俺らのバンドに入るとは到底考えられないし」と僕。するとヤマさんはこう言った。
「いや、その案はおもしろい。染谷美保さんを仲間に引き入れる。これは旅人南中生徒会長としてはとてもおもしろい提案であると思うのであります」
「どうして?」
「えー、考えてみて下さいや。去年、三年生がなぜ学校祭でバンドができなかったかを。
それはですね、信用なのです。信用。英語で言えばカゥンヒディンス。去年の三年生は不良だったから許可を貰えなかった。でも今年は違う。まず、生徒会長である私がメンバーにいます。そこに学年トップ、先生の信用絶大の染谷美保さんが入ったら、これは鬼に金棒ちゅうやつであります」
「でもさ、どうやって染谷さんを仲間に引き入れるんだ?」
ヤマさんが、パン! と手を打つ。
「女の特性ってなんだか知ってるか?」
「女の特性?」
「そうだ」
「いや、わからん」
「女って生き物は一人じゃなんもしない。トイレ行くにも手、つないで行く。体育館行くにも一人じゃ行かない。音楽室行くにも土曜日の弁当も、全部、誰かと一緒だ」
「うむ!」僕とダースコ、強くうなずく。
「昔の格言にこういうのがある。将を射るなら先ず馬を討て、と」
「うむ!」僕とダースコ、またまた強くうなずく。
「染谷さんを仲間に引き入れるならば、だ。染谷さんと仲がよい友達も一緒に引き入れる。どうだ」
「うむ! うむ!」と僕とダースコ、さんたびうなずいた。
「染谷さんと仲がよいといえば、染谷さんに勝るとも劣らない優等生、坂下真紀子さん。彼女です。
我が旅人南中生徒会副会長でもある坂下さんです。ということは俺の片腕でもあります。
しかもマコト君の幼なじみでもあります。ということは、気心が知れてるということでもあります。
染谷さんと私達は、ほとんど会話がない。いや、できない。
でも坂下さんとなら気楽に話せます。坂下さんがいれば場が持つというわけです。
つまりだ、あの二人を我々のバンドに引き入れようではないか!」
「ウオオオ!」僕とダースコは知らずに雄叫びを上げていた。
素晴らしいと思った。
今までは遠くで眺めているだけだった染谷美保と一緒にバンドをする、ひとつの目標に向かって頑張る、一緒にいれば、おのずと恋心も…考えただけでも胸がドキドキしてきてヨダレが湧いてきた。
誰もが黙りこくっていた。
誰もが染谷と一緒に演奏している雄々しき自分を想像していた。
僕も消えゆく夕日を見つめながら晴れの舞台に並んで立つ自分と染谷を想像していた。
するとひとりでに顔の筋肉がゆるくなってしまうのだから男なんて単純なものである。
そんなわけで坂下真紀子に恐ろしく邪心に満ちたお願いをする役は、当然のように幼なじみという大義名分のある僕に回ってきた。
僕達は町外れの電話ボックスから坂下の家に電話することにした。
出たのは坂下のお母さんだった。
僕はこのお母さんが苦手だった。
というのもすこぶるお上品なのだ。田舎のオバちゃんといった感じが、まるで、ない。まさに教育ママといった感じである。
坂下家自身、この町ではめずらしいインテリの家である。
坂下の父も母も大学出、しかも一流大学らしい。
坂下の父親は名のある電気メーカーの研究所に勤めている。
坂下と歳の離れた兄は、なんと、東大生である。両親とも高卒でトウダイときけば真っ先に「灯台」が頭に浮かぶような庶民の我が家とは成り立ちからして違うのである。
それは昔から感じていた。
幼い頃、坂下の家に遊びに行くと必ずショートケーキが出た。僕の家はいつもカリントウだった。
坂下の家にはピアノがあった。レースのカバーのかかったやつである。僕の家には父親が貰ってきた足踏みオルガンがあった。
それにはフロシキがかかっていた。
とにかく僕の家の普通の夕食がコロッケだとすると坂下の家はグラタン、そのぐらいの違いを幼い僕は感じていたのである。
電話に出たお母さんはやたらと明るかった。
「あらまあ! 誠君! おひさしぶり。お元気?」
いつもながらなんとも明るい声で、口べたな農家のオバはんとしか喋る機会のない僕なんか、もうここでアウトである。
「はあ、まあ」
「ねえ、たまには遊びにいらっしゃいな。あなた、小さい頃は毎日来てたじゃない」
「はあ、まあ」
「でももう中学三年だからそれどころじゃないわねえ。受験のほうが忙しくて」
「はあ、まあ」
「で、決まったの? どこ、受けるか」
「はあ、まあ」
「そう、それはよかったわね。早く志望校が決まると勉強のしがいもあるでしょ」
「はあ、まあ」
「うちの真紀子なんてまだ全然考えてないみたいで困っちゃうわ。こういう時は男の子のほうがしっかりしてるのよね」
「はあ、まあ」
「で、どこにしたの? 東校?」
「親はそう言っています」
「うん、そうよね。やっぱり男の子なら東校よね。あそこは今年も東大に十人合格したそうよ」
ちなみに坂下の兄も東高校から東大へと進学なされたのである。
「でも男子校ってなんかさっぱりしてていいわ。女子校はなんとなくじめじめしてそうで、だから真紀子はあまり女子校に行かせたくないの」
「はあ、まあ」
こんな感じで彼女のお母さんが僕を解放してくれたのはそれから五分後のことだった。だからこのお母さん、僕は大幅に苦手なのである。
「もしもし」ようやく坂下真紀子が電話口に出た。
「ああ、岸田君」
電話で坂下の声を聞くのはひさしぶりである。なんとなくいつもより声が大人っぽい。
「どうした? 風邪」
「もう大丈夫」
「電話くれたって話だけど」
「ああ、そうだったね」
「なんだった、用事?」
「もういいの」
しかし今日の真紀子は、本当に大人っぽい。風邪のせいで若干声が枯れているからか。
しかもテンションが低い。なんかまるで知らない女の子のような感じがしてきて、すると途端に緊張してきた。
だいたい今回の用件は魂胆ありすぎ案件である。それを魂胆を悟られないように、できうる限り爽やかに伝える、というとてつもなく高いハードル案件なのである。しかも電話ボックスの外では、ヤマさんとダースコが盛りのついた犬のように目をぎらつかせて僕を見つめている。
途端に言葉が出なくなった。
真紀子も無言だ。
凄まじく気まずい沈黙がしばらく続いたのち、真紀子が、少しかすれた声で言った。
「用事なければ切るよ」
まずい!ここで切られたら外でヨダレを垂らしている2人に顔を向けられない。
「ところで、真紀子よ」焦って声が裏返った。
「なに?」
「あー、うー、ところで真紀子よ、き、昨日の、あー、夕食なんだった? グラタンか?」
「はあ?」
「あ、いやいや」
意を決した。
「ところで、真紀子よ」
覚悟を決めて僕は邪心満ち溢れる計画を、邪心を悟られないように細心の注意を払いながら話した。
しかし聞き終わると真紀子は深いため息をついた。
「で、誰が好きなの?」
「えっ?」
「だから誰が、美保のこと、好きなの? 岸田君?」
「えっ?」やはり真紀子は鋭い。いきなり核心である。
「いや、だから、その、好きとか嫌いとか、そんな野蛮な、というか、つまり、真紀子とか染谷さんが、だな、つまり優等生ふたりがだな、この計画に入れば、だな、先生の見方も変わるし、だから学校祭でバンドがやれると、まー、その、純粋に、音楽的見地で…」
「わかった」と真紀子の、またもやのため息。「とにかく美保を誘えばいいんでしょ」
「おう、そうだ。美保を、いや染谷さんを、ぜひ誘ってもらいたい」
「岸田君の案?」
「あ?」
「だから、美保と一緒にバンドやりたいって最初に言い出したの、岸田君なの?」
「あ、いや、違う。俺じゃない」
「じゃあ山田君?」
「いんや」
「あ、棚田君?」
「まあ、そんなとこだ」
すると受話器の向こうでまたしてもため息が聞こえた。
「で、皆さんは私も誘ってるってわけ?」
「そ、そうそう、絶対、そう。というより、おまえが、真紀子がいないとこの計画はまるっきり駄目なんだ。絶対一緒に参加してくれないと困るんだ、なあ、頼む」
僕がそういい終わっても彼女は黙ったままだった。
この沈黙にはあせった。
とにかく坂下が、うん、といってくれないことにはすべてがオジャンなのだ。
しばらく沈黙が続いたのち、彼女はようやく口を開いた。
「まあ、美保に話してみる」
その言葉に、身体中の力が抜けた。
承知してくれた!
やはり幼なじみという間柄は強い! と1人悦に入っていると、真紀子がまた、ハスキーな声で言った。
「で、その、蕪谷くんも参加するの?」
「おう! そうよ! やつも実は可哀想なやつで、川を見ながら泣いてるんだ。まあ、俺もヤマさんも正義感のかたまりだろ。そういう弱いやつをほっとけないんだな」
案件を成し遂げた高揚感でさっきと打って変わって僕の口はとにかく軽くなっている。
またもや、真紀子のため息。
「なんか、さっきの岸田君の説明のニュアンスだと、誠くんたちがお願いして、ようやく蕪谷くんが了承したような感じがするけど」
さすがである。真紀子の精緻な頭脳は真実をちゃんと見切っている。
ただ真紀子は、それでもまだ甘い。
僕たちは、蕪谷をまだ説得すらしていない。
電話を切ると、全身汗まみれなのに気がついた。
けれどとりあえずヤマさんとダースコにOKサインを出した。
すると二人の緊張顔が一瞬にして恍惚の人寸前になるのだから、やっぱり男なんて単純な生き物なのである。
chaper.6
WEB/STORY「哀しき70's Kids」ch.6 「すごいことが起こった。奇跡のようなこと。そして謎は深まる」 &nb[…]