感動おすすめ傑作本「遠いアメリカ」常盤新平「海辺で読みたい」第4話〜純文学の喫茶ロック

  • 2020年7月2日
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感動おすすめ傑作本「遠いアメリカ」常盤新平「海辺で読みたい」第4話〜純文学の喫茶ロック〜

 

 

喫茶ロックと喫茶文学

 

 

 

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「遠いアメリカ」常盤新平 1986 講談社

 

翻訳家でもある常盤新平に「遠いアメリカ」という小説があります。

直木賞を受賞した作品です。

舞台は、昭和30年代の東京。

主人公の重吉は、毎日、古本屋を廻りアメリカのペーパーバックを買いあさり、喫茶店に入り浸っている大学院生です。

いわゆる高等遊民的な学生の、

怠惰と言われても、何も言い返せない、

けれど、少しずつ、夢に向かって歩み始める4年間を、

さらりとしつつも、滋味豊かな文章で綴っています。

 

大きな事件が起こるわけでもありません。

ただ主人公は、

翻訳家になろうとしても、どうしたらなれるのか皆目分からず、

晴れぬ霧の中をあてどなく彷徨っています。

まだ何者でもない自分、

何者になるかも分からない宙ぶらりんな自分、

そんななかでの恋、

彼女もまた、まだ何者でも、なく、

だから、ふたりは下北沢の街角で、

電灯が仄かにともる夜の片隅で、

ぎこちなく求め合いながら、

言葉にできない、茫漠とした未来のようなものに、押しつぶされそうにもなるのです。

 

それでも、ふたりは、ふたりの世界を、

少しずつ、紡いでいきます。

 

背景は、昭和30年代の東京です。

都電が縦横無尽に走り回り、

首都高速が空を覆う前の東京。

六本木、誠志堂。

クローバー。

ババロア。

イエナ書店。

幾多の喫茶店。

風街そのものの東京。

 

日本を背負って生きてきた親との距離感に苛立ちながら、

ただ、憧れるアメリカ。

 

そう。

アメリカなのです。

遠いアメリカ。

遠い遠い、遠いアメリカ。

主人公はアメリカに憧れています。

映画のなかのアメリカ。

雑誌のなかのアメリカ。

未だ見ぬアメリカ。

コカコーラのアメリカ。

ハンバーガーのアメリカ。

スージー・パーカーのアメリカ。

そしてピッツァの、アメリカ。

 

遠いアメリカ。

 

そういえば、寺山修司の詞にもアメリカの詞がありました。

長田弘の詩にも、アメリカの詩がありました。

 

戦争に負け、

一挙に押し寄せたアメリカは、

凄まじいまでに圧倒的で、

まばゆいほど光り輝き、

ソフトケィテッドという洗練に包まれ、

だからこそ、獰猛でした。

 

若者たちは、好むと好まざるとにかかわらず、

未だ見ぬアメリカに、がんじがらめにされました。

 

クラクラするほどの幻惑。

グラグラするほどの困惑。

 

当時の若者たちは、

はるか遠いアメリカを、

未だ見ぬアメリカを、

だからこそ、

どうにか自分のものにしようと、

この混沌とした寄るべなさに、

どうにか落とし前をつけようと、

のたうち廻り、

転げ廻り、

逡巡し、

行き止まり、

光明を見出し、

ようやく、見つけたのです。

 

「ニッポンのなかのアメリカ」を。

 

そんな、

アメリカと正面から向かい合った、

無名の若者の、

これは、ひとつの鮮やかな記憶なのです。

 

ところで、そうした心持ちは、音楽にも通じています。

喫茶ロック。

2000年代初めに造られたこの造語は、

1950年代〜1970年代初頭までの、オルタナティブな日本の音楽で、

今の耳で、とても魅力的な楽曲に与えられた名称です。

 

まさに、言い当て妙です。

「遠いアメリカ」の主人公重吉は、いつも喫茶店にいました。

はっぴいえんどの細野晴臣や松本隆も、いつも喫茶店にいました。

 

そうなのです。

1950年代〜1970年代初頭までの、オルタナティブな、

文学は、

映画は、

音楽は、

全て、

喫茶文学であり、

喫茶映画であり、

喫茶ロックなのです。

 

喫茶ロックの主人公たちは、

1960年代終わりから1970年代初頭に、音楽を創造していた若者です。

有名なヒトもいれば、無名なヒトもいます。

でも当時は、ほぼ、無名でした。

曲もほぼ、無名でした。

少なくとも、

売れ線ではありませんでした。

 

レコードの溝には、ようやく刻まれても、

例えば、シングルレコードのB面だったり、

そのアーティストの、たった一枚だけのアルバムのなかの、ひときわ売れそうもない曲だったり。

 

けれど、

2000年代の耳で聴くと、

え、

こんな曲が、40年も、50年も前に造られていたの? と、

それらはすべて、驚くほど、今の音です。

しかも、

どの曲も、

心の奥底を、掴んで離さない、

プリミティブで、けれどとても洗練された詞をもっています。

 

 

 

喫茶ロックを象徴するバンド、

はっぴいえんどの、最後の曲は、「さよならアメリカ、さよならニッポン」です。

はっぴいえんどは、

細野晴臣も、

松本隆も、

大滝詠一も、

鈴木茂も、

 

そして喫茶ロックの主人公たちである、当時のミュージシャンは、

 

誰もが心に、

遠いアメリカをもっていて、

それに憧れ、それを憎み、

どうしたら落とし前がつけられるかそのことを、ずっと、

ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、

彷徨いながら、のたうち廻りながら、

逡巡しながら考え続け、

音楽を創り続け、

 

そうしていつしか、ようやく、

アメリカでもない、

ニッポンでもない、

強いて言えば、

「ニッポンのなかのアメリカ」を、

誰もが聴いたことのない言葉、

誰も聴いたことのない音楽、

を創りだす過程が、喫茶ロックだったのです。

そして。

ようやく言えた言葉。

「さよならアメリカ」

ようやく言えた音楽。

「さよならニッポン」

 

それらの言葉が、奥深く刻まれているからこそ、

 

喫茶ロックは、

または、今回の「遠いアメリカ」のような、喫茶文学は、

 

何十年経っても、色褪せず、

未だに僕らの心を鷲掴みにするのです。

 

 


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