【2020年代目線での】今こそ聴きたいニッポンの大名盤50選〜Vol.2〜キャロル『燃えつきる – キャロル・ラスト・ライヴ!! 1975.4.13.』1975【パート2】

【2020年代目線での】今こそ聴きたいニッポンの大名盤50選〜Vol.2〜キャロル『燃えつきる – キャロル・ラスト・ライヴ!! 1975.4.13.』1975【パート2】

 

今回の名盤は、前回に引き続き、

キャロル 『燃えつきる – キャロル・ラスト・ライヴ!! 1975.4.13.』 フィリップスレコード 1975年 

 

 

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キャロルについての周辺状況は、前回記事で書きました。

僕の結論は、まごうことなき名盤、ということです。

 

Discogs

Discogs: 1975 Vinyl, 燃えつきる=キャロル・ラスト・ライブ! 1975.4.13. リリースのクレ…

 

今回は、いくつかの書物を読んで、また、キャロルの全アルバム、全シングルを2020年の耳で聴いて、

このアルバムは、日本のロック史上、というより世界のロック史において、例えば、ディランの激しい雨、ストーンズのLOVE YOU LIVEなどと同等に評価されるべき名盤、と思います。

何がいいって、演奏です。

彼らのタイトで小気味いい演奏は、まさにこれこそ、ロック、という躍動に満ちています。

身体の奥底から湧き上がってくる衝動を呼び起こすロックです。

10年早いパンクです。

 

では、キャロルとはそもそも、どういうバンドだったのでしょうか。

 

 

キャロルというバンドはなんだったのか

 

まず、キャロル、というバンドがどのようにして世に出てきたかを探るために、いくつかの書物を読破しました。

以下の書物です。

 

 

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矢沢は、自著でこう書いています。

 

(ビートルズやエレキブームは)それが普通のやつと興味の湧き方が違うんだな。異常になってきた。止まらないんだ。トコトン。そういう性格なんだな。オレ。

もう、曲を作り出したよ、その頃から。

出典;「成りあがり」矢沢永吉

ジョニーは、自著でこう書いています。

ぼくは、『ビートルズ病』になった。

寝ても、覚めても、という言葉があるが、まさにそのとおり、ぼくはビートルズの夢を見、ビートルズのことばかり考え、レコードを聴いては、白昼夢を見るようになった。

出典;「キャロル夜明け前」ジョニー大倉

矢沢永吉、1949年生まれ。

ジョニー大倉 1952年生まれ。

彼らもまた、当時の若者と同じようにビートルズで、音楽に目覚め、ビートルズの虜となり、そして、当時の多くの若者と同じように、ギターを弾き出した、

そういうことです。

ただ、彼らが成功を手にした理由は、

もちろん、ラッキーだった、ということもありますが、

矢沢永吉の創り出す、キャッチーなメロディラインと、

ジョニー大倉が創り出す日本語と英語が混ざった画期的な歌詞にあったことは、いうまでもありません。

 

3分以内の、キャッチーなメロディ。

日本初めての、日米ちゃんぽん歌詞。

矢沢永吉とジョニー大倉のツインボーカル。

内海利勝のリードギター。

ファンキーモンキーベイビーを引き合いに出すまでもなく、一度聴いたら忘れられないフレーズ。

ユウ岡崎のロールするドラム。

矢沢の爆烈ベース。

ジョニーのサイドギター。

憎いあの娘の、キレキレのカッティング。

そして何より、みんなのハーモニー。

レディセブンティーンの、出だしのハーモニー。

シャウト。

 

すべてが、高次元でぶつかり合い、調和しあい、根源的なロックに昇華しています。

この時期に、これほどドライブしていたロックバンドは、世界を見渡しても、キャロルだけなのでは、と思うぐらいの完成度です。

しかも完璧なまでの自己プロデュース。

リーゼントに革ジャンというコンセプト。

バイクと暴力とロックンロール、というコンセプト。

日米ちゃんぽん歌詞での巻き舌唱法。

 

このキャロル、というバンドが、のちのツッパリ系の様式を作ったことは間違いありません。

でも後発のツッパリバンドと、決定的に違うのは、

この様式は、彼らの完全オリジナルだったこと。

練習の虫であった彼らの卓越した演奏技術。

横須賀、川崎のキャバレーやゴーゴークラブで鍛えたライブバンドとしての爆発力。

何より、ジョニーも矢沢も、それぞれ思春期に、初期ビートルズに完全に心を射抜かれ、そこに自分たちを近づけよう、近づけよう、と希求した、その想いの強さ。

 

そこが、のちの凡百の後続バンドとの、決定的な違いなのだと思います。

 

ただ、これらの書物を読むと、

もちろん、解散後の、ジョニー大倉と矢沢永吉の確執など、

いろいろな思惑が入り混じりあい、

キャロルがどのようにしてバンドとなり、曲がどのように出来上がってきたか、

レコーディングはどうだったか、など、

そうした、

バンドそのものの純粋な音楽性とは別の面で、

切なくなることは確かです。

矢沢永吉も、ジョニー大倉も、

すでにジョニーは故人となり、

矢沢は、さまざまな辛酸を舐めつつも、それでもヤザワブランドを保ち続け70歳となり。

けれど、その原点としてのキャロルは、

この二人が出会わなかったら、絶対にできなかった、

彼らの若き才能が瞬間的に交差し、刹那の花火を打ち上げた、

それが、この「キャロル」なのだ、と、

そして、あの時代、

1972年の時代に、

こうしたロックンロール一本で勝負することが、

どれだけパンクだったか、

どれだけ、当時の若者に衝撃を与えたか、

しかも、いわゆる音楽偏差値の高いボンボンではなく、

キャロルのメンバーと同じ、

労働者階級の、

世間から、はぐれそうになりがちな不良たちが、

最初にキャロルの本物さを見抜いたこと、

そして、頭でっかちになりがちだった、

同年代のミュージシャンにどれだけの衝撃と嫉妬を与えたか、

やはり、「キャロル」は、日本の大衆音楽史上、徒花ではなく、正真正銘の「パイオニア」だった、ということだと思います。

 

 

ところで、

キャロルというバンド名は、

もともと文学少年で、太宰治や中島敦に傾倒していたジョニー大倉が、

ディケンズのクリスマス・キャロル

から、とったのだそうです。

 

そう。

 

すべては、夢の中、だったのです。

 

 

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