WEB/STORY「哀しき70’s Kids」ch.8

 

WEB/STORY「哀しき70’s Kids」ch.8

 

「バンドが転がり始めた。蕪谷が、オレたちの仲間になったんだ」

 

夏休みになった。

蕪谷は一度も登校してこなかった。

僕とヤマさんは例の道を調べまわったが、場所を特定することはできなかった。

そして、夏休みになった。

そう。夏休みに。

中学最後の夏休みに。

1975年の夏休みに、なったんだ。

 

chapter.7

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休みに入ってすぐ、僕とヤマさんは蕪谷の家を訪ねた。

蕪谷はいつものように蔵でドラムを叩いていた。

僕達が蔵に入っていくとつまらなそうに顔を向け、「どうだ、見つかったか?」と訊いてきた。

「それだ」とヤマさんは言った。

「約束は必ず果たす。道は必ず見つける。男、山田正義、二言はありません。が、だ。もう少し時間が欲しい。そこで、だ、今日は相談に来た。道を見つけるのと平行して、そろそろバンドの練習も始めたい。そうしないと間に合わなくなってしまうんだ。どうだ、ここはひとつ頼まれてくれないか?」

 

すると蕪谷、ニヤリとして、一枚の紙をヤマさんに渡した。

 

紙にはこう書かれてあった。

 

『旅人南中バンド・プロジェクト』

 

《コンセプト》

学校祭においてとにかく一曲、バンドらしく演奏し、田舎者の前でいいカッコをする。

《バンド名》  『シンプルドリーム』

《メンバー》

ボーカル   【           】

ギター     【           】

ベース     【           】

ドラム     【蕪谷 樹一郎 】

キーボード  【           】

バックグラウンドボーカル【             】

(演奏曲)   『ダウンタウン』シュガーベイブ

 

「こ、これは?」

「書いてある通りだ」

僕とヤマさんは顔を見合わせた。

どうやら彼は考えていてくれたらしい。すごく前向きに。僕達のために。

しかもドラムの欄にはすでに自分の名前まで書き込んである。

僕とヤマさんは感激にうち震えて蕪谷を見た。

「おまえ、ここまで俺達のバンドのことを…」すると蕪谷は小バカにするようにフンと鼻を鳴らして言った。

「俺のバンドだ」

「俺のバンド?」

「バンド名を『蕪谷樹一郎とシンプルドリーム』にしようと思ったぐらいだ。ま、どうせアホらしいバンドごっこに付き合うんだ。だったら俺は俺のために遊ぶ。つまりおまえらは俺を盛り上げる単なるダシということになる」

「ダシ…」あっけにとられる僕達を尻目に、蕪谷はいたって平然としている。

まあ、わかってはいたことである。ちょっと信じた僕達がバカだった。

つまりは根っからそういう男なのだ。この男は。

「ところで『シンプルドリーム』というバンド名について、異存はないな?」

もちろん「異存なし」をはなから決めている口振りである。

「俺はな、できれば日本の名前が良かったな。『かぐや姫』とか『六文銭』みたいによ。たとえば『一寸ぼうし』とかよ、『金太郎』とかよ」ヤマさんがごちょごちょつぶやいている。

けれど僕は気に入った。『シンプルドリーム』。

悔しいがカッコいいバンド名である。少なくとも『金太郎』よりはいい。

蕪谷がもったいぶって続けた。

「バンド名は異議なし、と見た。次に誰が何をやるかだ。それによってバンドの成否が決まってくる。というわけで今からそれを決定したいと思う」

僕もヤマさんもにわかに緊張してきた。

いよいよである。

僕はぜひギターをやりたいと思った。何たってバンドの華はギターである。フラット上を縦横無尽に指が動き回りソロを華麗に弾きこなすギターマン。まあ、その上でボーカルならいうことはない。高校野球でいえば四番ピッチャーキャプテンといったポジションであろうか。とにかく目立つこと請け合いである。観客の目は僕に釘づけである。女子はこぞって憧れと尊敬の入り交じった熱い瞳で僕を見つめるに違いない。演奏が終わった僕はさりげなくステージ中央にフェンダーストラトキャスターを立て掛けて退場する。場内は割れんばかりの拍手。アンコールの嵐。紙テープの山。楽屋から出てくる僕をもみくちゃにする女の子の群れ、いやあ、最高だ。この世の桃源郷だ、と、気づいたらいつのまにか僕の顔の筋肉はゆるみにゆるみ口元からはヨダレが垂れていた。

「話によると、おまえら以外に男一人、女二人がメンバーだそうだな」と蕪谷。

「では訊く。もうひとりの男は、どういう音楽を聴く?」

ダースコのことである。ヤマさんは「キャロルと『燃えよドラゴン』を聴く」と答えた。

すると即座に彼は言った。「単なるバカというわけだな」。はっきりいわれると僕もヤマさんもどう答えてよいかわからなくなってしまう。

続いて彼はこう訊いてきた。

「女の子の特徴は?」

ヤマさん、こう答えた。坂下は美人で理知的で、染谷は天使みたいに可愛い、と。

しばらく蕪谷は思案していたが、ようやく決断したのか、おごそかに言った。

「では今からポジションを発表する」

僕とヤマさんはごくりと唾を飲み込んだ。完全に蕪谷ペースである。レギュラーメンバー発表を待つ高校球児のような心境である。

蕪谷はまずヤマさんを指さした。

「おまえ、山田正義。ボーカルだ」

ヤマさん、知らずに歓声をあげていた。思わず、蕪谷に握手を求めていた。

「続いておまえ、岸田誠」

今度は蕪谷が僕を指さした。僕の胸は小鳩の水浴びみたいに高鳴っている。

「おまえは、ギターだ」思わず僕も歓声をあげていた。気づいたら蕪谷に向かって何度もお辞儀をしていた。

「その『単なるバカ』はベースだ」ダースコが聞いていたら、湯気を出して怒るであろう言い方である。

「ドラムは俺がやる。さて女の子だが、染谷という子にはバックボーカルとコーラスをやってもらう。

坂下という子にはキーボードをやってもらう。

どうだ。これが俺のバンド、『シンプルドリーム』のラインナップだ!」

蕪谷にしてはめずらしくホットな口調で一気にまくしたてると、満足そうな笑顔を浮かべた。

 

しかしあまりに急、かつ強引な展開である。

僕とヤマさんはもう唖然、である。

 

が、まあ、ともかくバンド・プロジェクトは一夜にして大きな前進をみたことだけは確かだった。

「しかし、蕪谷、おまえ、どういう基準でポジション決めをしたんだ?」

場が落ち着いたところでヤマさんが尋ねた。もちろん僕も訊きたかったところである。

「山田。おまえがボーカルの理由は、ずばり人望だ。バンドのフロントマンであるボーカルは歌がうまいことも大切だがとにかく人を魅きつける魅力がなくてはいけない。聞けばおまえは生徒会長だという。ということはたぶんおまえには人を引きつける何かがあると見た。だからおまえをボーカルに据えた」

ヤマさん、納得の表情である。続いて蕪谷は僕を見た。

「岸田、おまえをギターにした理由はだ、おまえは目立ちたがり屋のおっちょこちょいと見た。そういうやつはギターがお似合いだ」

「目立ちたがり屋のおっちょこちょい?」

「『ダウンタウン』のギターは難しい。だからおまえにやってもらう」

なるほど、いたく納得した。やはり一番難しいパートはこの岸田誠でないと出来ない、というわけだ、と僕がにんまりしていると彼はこう続けた。

「要はこういうことだ。当日までにおまえがギターをマスターできなければ、本番はアンプの音を消してしまう。俺の知り合いにプロのギタリストがいる。その人にギターパートを弾いてもらい、そのテープに合わせて演奏する。おまえは音を出さずにギターを弾くふりをする。エアギターだ。そんな芸当ができるのは、お調子者岸田、おまえしかいない」

ヤマさんが笑い転げている。

「キャロルと『燃えよドラゴン』男。こいつがベースの理由は至って単純。彼は矢沢永吉=神様だと思っている。だからベース。それだけだ」

もちろんダースコは矢沢命では、ある。

「女の子の理由はこうだ。だいたい美人で理知的な子は小さい頃からピアノを習っている。だから坂下という子がキーボード。バックボーカルは、メインボーカルが野獣なのだから、まさしく『美女と野獣』。とにかくバンドなんて、ドラムとキーボードとバッグボーカルさえしっかりしていればどうにか聴けるものだ」

 

ドラムとキーボードとバッグボーカルさえしっかりしていれば?

 

呆然と立ち尽くす僕とヤマさんを尻目に蕪谷はレコードをかけ始めた。

「いいか、これが俺のバンドで演る曲、『ダウンタウン』だ」

 

曲が流れてきた。

周囲の空気がさあっと変わった。

乾いていた。

このシュガーベイブというグループ、初めて聴いたが、とても良いバンドなのはすぐにわかった。なんたって曲がいい。アメリカの乾いた空気がある。

が、ヤマさんはどうも不満らしい。

「や、俺はな、やっぱ、かぐや姫の『神田川』をピロピロと、よ、なんか、こう、しんみりと。またはグレープの『無縁坂』を、なんかこう辛気くさく、じゃなくしっとりと、やっぱ、こんなバタ臭く陽気な曲は」

僕は気に入った。とても気に入った。だから言った。

「おう、蕪谷、これでいこうぜ、ヤマさんもいいだろ」

蕪谷がニヤッとする。

「岸田、おまえ、ちょっとはセンスいいんだな。その顔のわりに」

 

と、まあそんなわけでヤマさんも渋々認めて、僕達の記念すべきデビュー曲は、晴れてシュガーベイブの『ダウンタウン』となったのであった。

それからはなぜか場が急速に打ちとけて、僕達は夜遅くまで蕪谷から楽器の弾き方を教わったり、膨大なレコードライブラリーから聴きたいレコードを選んだりしていた。

 

帰る段になって僕は紙袋を蕪谷に手渡した。

「修学旅行の土産だ」

蕪谷は意外そうに僕を見た。

「お守りだ。おまえが幸せになるようにってな」僕はちょっと気障ったらしく言った。

蕪谷はいつものニヒルな表情のまま、もう一度紙袋に視線を落とすと、それでも顔を上げた時には口元に照れた笑みを浮かべていた。

 

 

 

「染谷はユーミンが好きだったんだ」

 

 

夏バテである。

僕は六畳の部屋の真ん中に大の字に寝転び扇風機の風を一身に浴びている。

それでも暑い。じわじわと汗が吹き出してくる。

窓の外を見ると巨大な入道雲。窓枠に吊り下げられた風鈴は身動ぎもしない。こんなに暑いとなにする気も起きなくなる。

やることはたくさんある。

机には教科書が山積みである。模擬テストが近いのだ。

机の横に立てかけられているフェンダーストラトキャスター。サンバーストの本物のストラトキャスター。蕪谷に借りているギター。練習のしすぎで左指の腹が痛い。

実は今も暑い中、延々二時間ほどギターの練習をしていたのだ。確かに『ダウンタウン』のギターは難しかった。けれど蕪谷は意外なほど根気強く丁寧にギターの弾き方を教えてくれた。タブ譜も書いてくれた。

彼はギターの初歩からひとつひとつじっくり教えてくれた。おかげでどうやら、学校祭当日、エアギターしなくてもすみそうだった。

ヤマさんも毎日練習しているようだった。実際ヤマさんは意外にも歌がうまかった。ジャイアント馬場顔からは想像もつかないハイトーンで彼は朗々と『ダウンタウン』を歌うのだった。

ダースコも喜んでベースを引き受けた。彼が尊敬してやまない永ちゃんこと矢沢永吉と同じベーシストということに狂喜乱舞していた。くやしいが蕪谷の計算どおりである。

坂下も染谷も僕達の(というより蕪谷の)決定を好意的に受け止めてくれた。

 

僕とヤマさんは蕪谷が決めたポジションを伝えるため、蕪谷の家を訪れた次の日、坂下真理と染谷美保の家に行った。まず真理の家に行った。そこで『ダウンタウン』が吹き込まれたカセットと楽譜を彼女に渡したのだが、真理はキーボードという役を気に入ったようだった。もちろん彼女、これまた蕪谷の言うとおり幼い時からピアノを習っていて現在も進行中である。そんなわけで彼女は初見で『ダウンタウン』を弾いてしまったのだが、それがかなりきちんと『ダウンタウン』していて、ドラムとキーボードさえしっかりしていれば、という蕪谷の言説もあながち間違いではないな、と思うのだった。

 

続いて真理を伴って染谷の家へ行った。染谷の家を訪問するのは初めてである。いったいどんな家なんだろう? 染谷の雰囲気にふさわしく、瀟洒な洋館、といった趣なのだろうか?

でも真理が、ここよ、と言って、見ると染谷の家は意外にも古い小さな平屋だった。

真理が耳打ちした。「美保は、お婆さんと二人暮らし」

「えっ?」初耳である。

「美保、5年生の時、転校してきたでしょ」

「そうだったな、横浜からだった」

「そう、美保はあまり話さないからよく知らないけれど、けっこういろいろあって大変だったみたい。ご両親はいないの。お婆さんと二人暮らしなの」

知らなかった。当然のように染谷には家族がいるもの、と思っていた。普通に。親と一緒に暮らしていない、なんて思ったこともなかった。

玄関が開く間、僕は胸の奥底に重たいものが沈んでいくのを感じていた。それでも彼女は、いつものにこやかな笑顔で僕達を家に招きいれてくれた。普段着の染谷を見るのは小学校以来だった。それがまた一段と愛らしかった。眩しいくらいに白いTシャツとカジュアルなスカート。そのしなやかな美しさに思わず見とれてしまうのだった。

 

染谷の部屋は六畳の古い和室だったが、よく整頓されていた。机の上にはラジオがひとつ。机の前にはユーミンのポスターが一枚。

「ユーミン、好きなんです。特に『ひこうき雲』とか『ベルベットイースター』なんか。この机に座って外の景色をぼんやり眺めながらユーミンの歌を聴いていると、なんかとっても心が落ち着くんです。人生って楽しいことや苦しいことや悲しいことがいろいろあるけれど、でも生きてるっていいよなあって、そんな感じがすごくしてくるんです」染谷が言った。

「私もユーミン、好き。いいよね」真理が相槌を打った。

「それから最近好きなバンドがひとつできたんです。シュガーベイブっていうグループなんですけど。ラジオで聴いてすぐ好きになっちゃいました。知ってますか?」染谷が目を輝かせる。僕とヤマさんと真理は思わず顔を見合わせてしまった。

「シュガーベイブ? それだ。バンドでやるのは。『ダウンタウン』っていう曲だ」ヤマさんが言った。染谷は驚いたようにさらに瞳を大きく見開いた。「えっ? 『ダウンタウン』をやるんですか? 本当ですか? すごいなあ、誰が決めたんですか?」

僕はそこでついこう言ってしまった。「それは、まあ、俺だけど」

すると染谷は僕をまじまじと見つめて、感激を抑えられない、という口調で言った。「えっ、岸田さんが決めたんですか? ほんと、すごいなあ、すごくうれしいです。岸田さんって、センスいいですね」ひしひしと感じるヤマさんの非難の眼差しをいっさい無視して、僕は鷹揚に笑ってみせた。

「ハハハ、まあ、ね、ハハハ。センスっていうのは生まれつきだからね」

「バンド名は何ていうんですか?」

「シンプルドリーム」僕は答えた。

「わあ、 『シンプルドリーム』。いいなあ、すごくいいなあ。これも岸田さんが?」と染谷。声がうわずっている。

「まあ、ね」またもやビンビン感じるヤマさんの非難のまなざしをいっさいがっさい無視して僕は鷹揚に笑った。

「ハハハ、こういうセンスっていうのは、生まれつきのものだからね。ハハハ」

ヤマさんが染谷にこれまでの経緯を伝えた。つまり僕がギターでヤマさんがボーカルで、ダースコがベースで真理がキーボードで、染谷にはバックボーカルおやっ、、てもらうこと、例の蕪谷樹一郎もドラムとして『僕達』のバンドに参加すること、などを、である。

話を聞き終わると染谷が「蕪谷、という人も参加するんですか?」とちょっと用心深そうに訊いてきたのでヤマさんが、「そう、でもあいつも、みかけほど悪いやつじゃないから、心配しなくてもいいよ」とヤマさんにしてはめずらしく優しい声音で、しかも標準語でそう答えた。だから僕も標準語で話を続けた。「まあ、あいつも、ほら、病気だろ。学校に来られないという。だからさ。バンドにでも誘ってやれば、少しは元気になるかな、ってさ、人助けってやつ? あいつも慣れない場所に引っ越してきて寂しいんだろうな。川眺めて泣いたりさ。暗い男なんだよ。でもバンドに誘ってやったら、涙流して喜んでんの。やつもやっぱ、友達が欲しいんだね、思わず僕ももらい泣き。とりあえずドラム貸してやるから、ま、練習しておいてよ、って。でもやつ、リズム感悪そうなんだよね。だから当日まで覚えられなかったらテープに合わせて叩くマネさえしてればいいよって、そこまで言ってやったわけよ。そうしたら蕪谷、また泣いてんの。そこまで俺のこと考えてくれているのかってさ。やつもよほど嬉しかったんだねえ。まあ、そんな感じかな」

染谷はまったくもって疑い知らぬ澄み切った瞳で盛んに相づちを打っている。「そうですか、蕪谷さんは、いつも川を眺めているんですか? 涙を流して喜んでいたんですか? ドラムまで貸してあげて。本当に岸田さんは心から優しい人なんですね」

が、ここでついに真理の鋭いつっこみが炸裂した。「でも、楽器は全部蕪谷君のものじゃなかったっけ。それに蕪谷君、ドラム、すごくうまいって、パートも全部蕪谷君が決めたって」だから記憶力抜群の優等生が僕は苦手なのである。

 

というわけでバンドの方はどうにか軌道に乗りつつあった。

問題は蕪谷との約束、道捜しの方だった。できるだけ情報を集めようとしているのだが、とにかくどうにも手がかりがなさすぎるのだ。めぼしい場所をずいぶん歩き回った。その辺のジイさんバアさんにも尋ね歩いた。先生にも訊いてみた。けれどわからなかった。

写真を取り出した。何度も何度も飽きるほど眺めた写真である。夏には違いない。空にははっきりと入道雲が写っていた。モノクロながら日の光が写真の隅々にまで溢れていた。僕達がこの世に生を受けた頃の写真。何の変哲もない道の写真。両側にはこれまた何の変哲もない木造民家。人は写っていない。荒涼とした土地だ。誰も住んでいないゴーストタウンのようにも見える。だいたいこの町の写真かどうかも分からない写真。まるで砂浜に落ちたかもしれないビーズを捜すようなものだ。

でもなぜ蕪谷は真剣にこの場所を捜しているのだろう? 実はそのあたりの疑問を率直に蕪谷にぶつけたことがあった。が、ダメだった。というよりその疑問を口にしたとたん、それまでそれなりに友好的だった蕪谷が豹変し、「詮索するようだったら俺はこのプロジェクトから手を引く。おまえ達とも縁を切る」と言ったのだ。以来、この話題はタブーとなった。

とはいえ、とにかく夏休みに入ってから蕪谷にはずいぶんお世話になった。

彼は意外にも丁寧に楽器の弾き方を教えてくれた。

口ではいろいろ言いながらも蕪谷はこのバンド・プロジェクトを自分自身でも楽しんでいる、僕にはそう思えた。

そんな彼の好意を無にしないためにも、理由はどうあれ、この写真の風景がいったいどこなのかぜひ見つけてやりたい、というのが僕とヤマさんの一致した意見だった。

なるべくならこの夏休み中に。

 

 

 

「蕪谷と僕は、虹の彼方について語り合ったんだ」

 

 

 

蕪谷との付き合いが深まるにつれ、僕は少しずつ、彼の傲慢な物言いや斜に構えた姿勢が、彼の心の奥底にある癒されることのない深い傷のためだ、ということに気づき始めていた。

蕪谷は、心に深い深い傷を負っている。

彼が直接、その傷の一端を僕に見せたのは、ギターの練習を終えて二人っきりでレコードを聴いてた時のことだった。

僕達はニール・ヤングを聴いていた。蕪谷は突然、気負ったふうもなく、ラーメンでも食べたいな、というぐらいにあっさりとこう言ったのだ。

「岸田。おまえ、殺したい人間いるか?」

「殺したい? 物騒だな」僕は受け流した。冗談だと思ったからだ。けれど蕪谷は、彼にしてはめずらしく素直な口調で言った。

「俺はいる。殺したい人間がいる」

驚いて蕪谷を見ると、その目は予想に反して静かだった。だから、というわけでもないが、僕はまだ額面通りにその言葉を受け取ることができなかった。

「蕪谷、おまえに殺しは似合わない」僕は言った。

「じゃあ俺に似合うのは何だ?」

少し考えてその時、頭に浮かんだイメージをそのまま言った。

「おまえにはな、おまえに似合うのは、虹、だ」まあ軽い気持ちだった。口からでまかせ、とも言う。

「虹?」

「おう、そうだ」でも僕はこの単なる思いつきがけっこう気に入った。だから調子に乗って言葉を繋いだ。「そうだ。おまえに似合うには虹だ。おまえ、人を殺したら虹を見ることなんかできなくなるぞ。いいのか。おまえは人殺しより虹が似合う」

蕪谷は、ほおっ、と珍しく感心したような表情を浮かべ、実際、そう口にした。

「ほお、そうか。虹か」

「おう、そうだ。蕪谷よ。おまえは虹だ。虹の彼方だ。オーバー・ザ・レインボウだ。クラプトンの曲にもあったろ」

「いや。クラプトンの曲にはない。そんな曲」蕪谷は即座に否定し、それでも満更でもなさそうな顔で、「おまえにしちゃ、上出来な答えだな」と言った。「そうか。俺は虹の彼方か」

「そうだ。おまえは虹の彼方だ」僕はいたって満足である。カッコいい台詞を思いついて、なんとなく自分が、さらにカッコよくなったような気がしていた。

すると蕪谷が僕を見た。「なあ、岸田よ」

おやっ、と思った。彼の声にいつもの傲慢さがなかった。静かだった。彼の声は静かで、真摯で、頼りなげだった。

「なあ、岸田。それで、虹の彼方には何があるんだ?」

「虹の、彼方? にあるもの?」

「おう。おまえ、言ったろ、俺は虹の彼方だって。だから殺しなんかするなって。だからその彼方には何があるんだ?」

そう言われても答えなんかない。もともとが口からでまかせ、なのだ。でも蕪谷の、今まで見たことのない瞳の色に、とにかく何か言わなくちゃ、と思った。それでも、いきなり思いつくものでもない。

「あー、うー、虹の彼方な、あー、あー」

はたっ、と閃いた。

「あー、それは、アイだ」

「アイ?」

「そうだ。愛だ。愛に決まってる。虹の彼方にあるものは、愛だ。ジョン・レノンも言ってたろ」僕は自分の答えに満足していた。ちょっと気障ったらしいが、今日はどうせカッコいい台詞で統一してきたんだ、なかなかいい答えだ、と自分で自分を褒めた。

「そうか。愛、か」蕪谷の顔がいきなり明るくなった。「なるほど。そうか。愛、か」蕪谷は僕を見ると、にやり、とした。「おまえ、岸田。ちょっとは見直してやる。今日のおまえはなかなかいい」

「当然だ」僕は言った。

「ただし、ジョン・レノンは、そんなこと言ってない。絶対だ」

それでも蕪谷は上機嫌だった。

それでその話はおしまいになった。

僕達はそれからクイーンとジャクソン・ブラウンを聴いた。

ジャクソン・ブラウンが終わる頃、蕪谷はまったく別のことを口にした。

「この前の雑誌、岸田はどう思った?」

「けっこう好きだ」僕は素直に感想を述べた。「新しい感じがする」

「そうか、新しい感じがするか」蕪谷の口調は、またもや、いつになく静かだった。「おまえも欺されるかもな」

「欺される?」喧嘩を売っているのか、と思って見たら、蕪谷の目もその口調のように静かだった。

「フェイクなんだよ。偽物なんだ」

「偽物? フェイク?」

「ああ。そうだ。その雑誌が見せてくれる自由も青空もな。ただな、別にその雑誌が悪いんじゃない。誰が悪いんでもない。世の中がただそうなっていくだけなんだ。偽物の世の中に」

「おまえ、何、言ってるんだ?」蕪谷が何を言わんとしているのか分からなかった。

「いいか。歌だ。俺は本物の歌が欲しい。でもその歌は滅多に見つからない。偽物が多すぎるんだ」

「歌?」

「そう、歌だ。でも偽物ばかりだ。しかも軽薄な偽物だ。張りぼての偽物だ。偽物に欺されて魂を抜かれる。哀しい時代なんだ」

「そうか」僕はそう言うしかなかった。

「やつらはとても巧妙に欺す。静かに寄り添ってくる。気が付いたら魂を抜かれてる。とにかく最悪のやつらなんだ。それでも、それだからこそ、やつらはこれからどんどん肥え太っていく。フェイクをさも本物のように俺達に与え続けてな。悔しいけどそうなんだ。すごく悔しいけどな」

やつら? 一体誰のことを指してるんだ?

「とにかくやつらは友達面して、あるいは先導者の振りをしていつの間にか近づいてくる。一見すごく洗練されているから純粋な者ほど欺される。ズタズタにされる」

「そうか」またもやそれしか言えなかった。

「みんなが本物と偽物の区別がつくようになるまで、やつらはたぶんのさばるだろう。それがすごく悔しいんだ」

「そうか」

「今が分水嶺なんだ」

「分水嶺?」

「そうだ。俺達は、時代の裂け目を生きているんだ」

「えっ?」

「怖いんだ」蕪谷からこの言葉を聞くのは二度目だった。怖い? 一体何が怖いんだ?

「でも闘う」蕪谷は僕を正面から見ると言った。「俺はこの雑誌を作った男を知っている」

「だろうな。だっておまえ、モデルで出ていたぐらいだからな」

「俺が殺したいのは、そいつだ」そう言った蕪谷の目は異様に光っていて、空洞のように真っ暗だった。

「岸田、信頼していた者に裏切られたこと、あるか?」蕪谷は僕の答えを待つことなく言葉を続けた。「愛する者を失ったことは?」

信頼していた者? 愛する者? だって?

横を向いた蕪谷の唇が小刻みに震えていた。

「何かあったな」僕は言った。「おまえ、これまで何かあったろ。辛いことが」

蕪谷は答えなかった。僕は言葉を続けた。「よお蕪谷。おまえの言っているやつらって誰なのか、何が怖いのか、おまえがどんな経験してきたのか、俺は全然分からねえが、何と闘おうとしているのか、誰を殺したいのかも分からないが、でもな蕪谷よ、何でも相談しろ。俺もヤマさんもダースコもそれから真理も染谷さんも、みんなおまえの仲間、友達なんだからな」僕は心の底から言った。気がつくとレコードは終わっていた。針がレーベルに当たる音だけがスピーカから流れていた。

「お守り」しばらくして蕪谷は言った。「ありがとな」

蕪谷から素直に礼を言われると何ともむず痒かった。とはいえやっぱり蕪谷は蕪谷である。彼はすぐにいつもの傲慢さを取り戻すと言った。

「しかしおまえ、岸田。とにかくどこまでもカッコ悪いな」

「は?」

「おまえが買ってきたのは安産のお守りだ、バーカ」

頭にこなかった。僕は笑った。すると蕪谷も笑った。その笑みを仕舞わないまま彼は言った。

「岸田、明日、俺につき合え」

「は?」

「行きたいところがある。つき合え」

「どこだ? 行きたいところって」

「それはいい。とにかくつき合え。俺に。それがお守りのお礼だ」

お礼として自分の用に付き合え、とはまったく蕪谷の傲慢さも極めている、とは思ったが、その誘いが嬉しかったのも事実だった。人を嬉しくさせるのがお礼なら、一応、理には適っているのかもしれない。

「もしかして、例の写真に関係したところへ行くのか?」

「おまえ、運命って信じるか」またもや脈絡のない問いだった。

「は?」

「というか宿命だ」

まったく蕪谷との会話は禅問答のようで、いつも乱反射している。蕪谷は僕の答えを期待していない。彼はいつも一方通行で話し始め、突如話し終える。こっちの質問にも滅多に答えない。でももう頭にこなかった。彼は多くの思考が頭の中を同時進行で、高速度で行きかっているのだ。そういう間合いみたいなものが最近どうにかわかってきて、すると蕪谷との会話のズレも許せるようになっていた。

「まあ、明日、つき合ってやるわ」僕は言った。

「おまえ、自転車持ってるか」蕪谷の言葉に僕はうなずいた。

「じゃあ、二台持ってきてくれ」

「二台?」

「俺の分もだ」反論する気にもならなかった。頭にもこなかった。

「わかったよ、蕪谷様、明日自転車二台持ってくる。姉ちゃんに借りて」そこで、はた、と思った。

「でもよ、蕪谷、おまえ、自転車乗ってたろ」

「あれはバアさんのだ。俺が一日中使うと、バアさん、買い物に行けなくなるだろう」

「意外と優しいんだな」僕が感心したように言うと、それでも蕪谷は、ふん、と鼻を鳴らして、気色悪い、と憎まれ口を叩くのだった。

帰り際、蕪谷は出て行こうとする僕にこう言った。

「岸田。俺はな。ここで、この旅人町で見つけるものがあるんだ」

「例の場所か?」

「ひとつはそうだ。ここは『約束された土地』だからな」

「約束された土地?」

「そうだ。それがひとつだ。それもそうだが、もうひとつ、見つける。すごく大切な何かだ」

「大切な何か?」

「そうだ。すごくすごく大切な何かだ」そう言って蕪谷は、蕪谷にしては真剣な表情で自分を納得させるようにうなずいた。

 

 

 

「僕たちのバンド、シンプルドリームが、ようやくひとつになったんだ。そう。だから僕たちの目の前には幸せしかなかったんだ」

 

陽射しが強い。

僕とヤマさん、真理と染谷は自転車で畦道を走っている。

夏休みもそろそろ終わりに近づいていた。

四人は蕪谷の家を目指していた。今日は待ちに待ったシンプルドリームの結成式、およびバンド初練習の日なのだ。

「どうだ? 少しはうまくなったか、ダースコ」とヤマさんが汗をふきふき尋ねる。ダースコは力強くうなずき、

「だってベースは弦が四本だろ、俺にはおちゃのこさいさいオケツのまわりは糞だらけ、っちゅうやつだ」といつもの品のなさを露呈し真理が眉をひそめるのだった。

とはいえダースコに限らず誰もがこの初練習を目指して自分のパートを一生懸命練習してきたようだった。染谷でさえ、「コーラスとボーカル、毎日お風呂で練習したんです。あんまり大きな声で練習してたからとうとうおばあさんに怒られてしまいました」と言うぐらいである。

途中、駄菓子屋に寄ってポテトチップスとポップコーンとおせんべいを買った。飲み物はコーラにした。

「いいか、コーラってえのはな、甘口と辛口があってな、それは瓶のここで見分けんのよ」ダースコがコーラの瓶の底を自慢気に指差す。「ここに丸か四角かどちらかの窪みがあってな、丸は甘口、四角は辛口って決まってんのよ」

蕪谷はいつもどおり蔵にいた。いつもどおりドラムを叩いていた。

 

「そんなわけで、我々シンプルドリームもめでたく結成式を迎えました。これもひとえにバンドを結成して学校祭に出演したいというみなさんの石の一徹というか石の上にも三年というか、とにかくめでたい、おめでとう、ということで」ヤマさん、緊張と興奮で支離滅裂となりながらも、あいさつを終え、続いてコーラで乾杯することとなった。

「それでは、今回のバンド・プロジェクト最大の功労者、蕪谷樹一郎クン、ひとこと、どうぞ!」

乾杯を終えたヤマさんがさらに盛り上げ蕪谷を紹介した。そういえば真理と染谷は、蕪谷とほとんど初対面である。

注目を浴びた蕪谷、髪の毛を掻きわけてニコッとした。男の僕が見ても思わず見とれてしまうカッコよさである。染谷も真理もただただ見とれている。

「まあ、よろしく」

そんな感じで和やかに始まった初練習だったが、僕もヤマさんもダースコも生まれて初めてプライベートの場で女の子と一緒、それも憧れの染谷美保と一緒というシチュエーションに思いきり舞い上がってしまい、ドキドキの集団初デートといった趣を呈してきた。

たとえばこんなふうにである。

「あ、あの、そ、染谷さん、はポップコーン好き?」とヤマさんが緊張しきった声で尋ねると染谷が、「好きです」とにこにこしながら答え、すると僕が、「じゃあじゃあほらポップコーンたくさん食べて」と彼女の前に袋を押し出し、そうなるとヤマさんも負けじと、「そうそう、ポップコーンはおいしいよねえ。俺の一番の大好物なんだよ」と鼻の下を伸ばすのである。そこにダースコが乱入してきて、「だからね、コーラには辛口と甘口があんのよ」と強引に自分のテリトリーに話題をもってくるのである。

「ダースコ、でもこのコーラ、甘口も辛口も、ぜんぜん味、変わんねえぞ」

「マーは味覚がゼロだからわかんねえだよ、ほらこっちは辛くて、こっちは甘いだろ、飲めばすぐわかるだろ、ね、染谷さん、わかるよね」

「そうですね、いわれてみると確かにこっちのほうが甘いような、でもとても微妙ですね」と染谷はどちらも立てる気配りの発言をし、そこにヤマさんが「染谷さんは、おせんべ、好きか?」とまたまた会話に割り込んでくるのであった。

蕪谷は当然、我関せずだった。ドラムを叩いたりギターのチューニングをしたり、レコードを引っ張り出したりしていた。

真理がついに「ねえ、そろそろ練習しようよ。せっかくみんな今まで個人練習してきたんだし、早く合わせよう」と言った。

そこでまず曲を聴いて、それから実際楽器を持って合わせることとなった。

ほどなく前奏が流れてきた。染谷が目を輝かせて「私、本当にこの曲好きなんです。これ岸田さんが選んだんでしょう。バンド名も岸田さんが決めたんでしょう。岸田さんって本当にセンスいいですね」と言いだした。

僕はドキッとした。一番恐れていたことが起こってしまった。恐る恐る蕪谷を盗み見るとニヤニヤしながら僕を見ていた。

「なるほど。曲もバンド名も、確かに田舎の坊主頭の岸田が決めたにしては、センスは、いいな、確かに」

その時だけは蕪谷が仏様のように見えたことは、いうまでもない。

 

「何度聴いてもいい曲ね」と言ったのは真理だった。

「キャロルほどじゃねえけどな」と言ったのはダースコだった。

「辛気くさくは、ないわな」といったのはヤマさんだった。

「岸田さん、この曲を選んでくれて本当にありがとう」と言ったのは染谷だった。

蕪谷はニヤニヤ、僕の表情を伺っている。僕はもちろん、苦笑するのみである。

レコードを聴き終え、それぞれの楽器をアンプに通したりチューニングをしたりストラップをかけたりうがいをしたり楽譜を置いたり試し弾きをしたりしているうちになんとなく、ああバンドなんだなあという感慨が込み上げてきた。僕達はようやく夢を実現できたんだなあ、というきわめて強くきわめて感動的な感慨である。

いよいよ音出しである。

ヤマさんはマイクスタンドに手をかけ、アリスの谷村、って感じである。ダースコも伸びはじめた坊主頭を水と手の脂でまとめたリーゼント風にして、気分は完全に永ちゃんである。実は僕もそうだった。ストラトキャスターを肩から掛けた自分の姿をいつしかクラプトンに見立てて自然と顔がニンマリしているのだった。

「さて」蕪谷が言った。

「それぞれ個人練習はしてきたと思う。でもバンドというのは、個人で自由に音を出している時のようにはいかない。みんなの音に自分の音を合わせなければならない。一人の時いくらうまくても駄目なんだ。いいか、他の音もしっかり聴いて、心をひとつにしなくてはならないんだ。それがバンドの基本だ。いいな。心をひとつにするんだ」

協調性のかけらもない皮肉屋、蕪谷にしてはずいぶんまっとうなことを言う、と思った。でも彼の言うことはもっともだ。確かにそれが一番大切なのだ。そう、心をひとつにすることが。

蕪谷がスティックでカウントを取り出した。一気に緊張が高まる。ピックを持つ手に汗がにじむ。夏休みになって、模擬テストの勉強もなんのそのギターの練習ばかりしてきた。耳にたこができるほど曲も聴き直した。指にたこができるほど弾いた。そうして一応蕪谷に教わったとおりの音はどうにか出せるようになった。もたつくところもあるけれど、レコードの音にどうにかついていけるところまでは来ていた。それでもみんなと一緒に音を出すとなると話はまるっきり違うのだ。はたしてうまく手が動くだろうか。おかしな音を出さないだろうか。緊張はいやがおうでも高まるのだった。

意を決してピックを持ち直し、一気に振り下ろした。

いつしか転がりだしていた。夢中にギターを弾いていた。ヤマさんもマイクにかぶりついていた。ダースコも真剣な顔つきでベースと取っ組み合っていた。染谷は恥ずかしそうに、けれどけっこう楽しそうに澄んだ歌声を聴かせていた。真理と蕪谷はいたって冷静に、正確に音を紡ぎ出していた。

その時、僕達の心は確かにひとつになっていた。バンドになっていた。『シンプルドリーム』という一つのバンドに。シンプルな夢を見る五人の仲間に。

その日、何回となく音を合わせた。合わせているうちにどんどん音楽になってくるから不思議だった。もちろん細かい点はまだまだだったけれど、いけそうじゃねえか、という声が出るぐらいには。

練習を終えて蔵を出ると夜だった。汗ばんだ肌に夜風が気持ちよい。誰もが満足そうな顔をしていた。蕪谷は蔵の出口まで僕達を見送ってくれた。いつものニヒルな表情を崩さなかった。けれど彼もまた、今日はとても楽しそうにドラムを叩いていた。のみならず終始冷静に、的確に練習を進行してくれた。

休憩時間、彼はギターを弾いた。ロックンロールだった。そのリフに合わせてダースコが踊った。みんな大笑いした。これまで蕪谷の紡ぎだす音はどこか寂しそうだった。ギターの音色もドラムの音も。けれど今日は違った。彼の今日の音はとてもぬくもりがあり、なにより熱かった。

 

蕪谷の家を出た僕達はラーメンを食べに行くことになった。みんな、なんとなく、じゃあ、と別れてしまうには気持ちが高ぶり過ぎていたのだ。

もちろん、安喜亭である。

カウンターに座っていたオヤジは、入ってきた僕達を一瞥すると大儀そうに腰を上げた。

「しかし一回目にしてはまともに聞こえたんじゃないか」とヤマさん。声はガラガラである。いかに歌いこんだかの証明である。

「ヤマさん、ボーカルすごくうまかったわ。バンドはなんといってもボーカルですもの。ヤマさん、すごい。カッコいい」真理がそう持ち上げる。ヤマさんニタニタしっぱなしである。でも確かに真理の言うとおりである。ヤマさんの歌は音程もしっかりしているし、なんといってもハイトーンの声音に魅力があった。

「ま、確かにこれまで数々の生徒会演説で鍛えたノドだけは、少しは私の自慢ではあった。が、しかし、やはりバンド成功の原因は坂下さんの正確なキーボード、そして染谷さんの天使のような歌声にある、と私、山田は思うわけであります」

「そんなこと、ないと思うけど」真理と染谷は同時にそう言うのだが、けれど二人とも目は輝き、頬はぽっと赤らんでいる。

「でもな、なんといっても今回のバンド・プロジェクトの最大の功労者は蕪谷だ、ということは衆目の一致するところだと思うのです。で、みなさんに相談なのですが、蕪谷を助けてやりたいと思うのであります」とヤマさん。

「助ける?」、真理が怪訝そうな顔をした。ヤマさんが写真を取り出していきさつを説明した。

「どうして蕪谷君はこの写真を持っているの?」説明を聞き終わった真理がすかさず質問した。

「そりゃ、謎だ」とヤマさん。

「どんな理由で蕪谷さんはこの場所を捜しているのですか?」染谷も訊いてきた。

「それも、謎だ」と、またまたヤマさんが重々しく答えた。

みんなテーブルの中央に置かれた写真を見入りながら黙ってしまった。突然、横に座っていたダースコが僕の脇腹を突いた。振り向くと彼は、備え付けの雑誌のグラビアヌードのページを僕に見せてニヤニヤしていた。

「なんか不思議な写真ですね」染谷が言った。

「不思議?」

「ええ、なんて言ったらいいのかな、ただの風景写真なんだけど、でも不思議」

染谷は食い入るように写真を見つめている。真剣そのものである。眉間に少しばかりシワがよっている。染谷のこんな表情を見るのは初めてだった。美少女の真剣な表情というのはそれだけですごくセクシーなのだ、ということを僕は初めて知った。

ラーメンを食べ終わると、とにかくこの写真を多くの人に見てもらおうということで話がまとまった。

僕はみんなの会話を遠くで聞きながら、実は数日前の出来事を思い出していた。

蕪谷に付き合え、と言われて一緒に出かけた時のことを、だ。

 

 

二人で自転車を漕ぎながら、大量の汗をかきながらつづら折りの山道を懸命に登り、そこへ行った。

突然目の前が開け、それが出現した。

ダムだった。

蕪谷は急くようにダムの底を覗き込んだ。

彼が何を考えているのか、何を感じているのか、何のためにここに来たのか、僕にはまったくわからなかった。

ただ圧倒的な夏の日差しと、圧倒的な青い空と、痛いような蝉の鳴き声と、ダムに満ちている塊のような緑色の水だけが僕達の前にあった。

蕪谷は旅人町と隣町を結ぶ峠のてっぺんにある素朴なダムを、永遠のように覗き込んでいた。

その日のことを僕はヤマさんにもダースコにも、誰にも話していない。

写真に関係があるのか、はたまた別の意図があったのか、その日の蕪谷は何時になく無口で、帰るまで、ほとんど会話はしなかった。

けれども彼と過ごした半日はなぜか僕にとって宝物のような時間となった。安産のお守りのお礼としては十分なぐらい、それは心に刻まれた時間となったのだった。

 

 

chapter.9

WEB/STORY「哀しき70's Kids」ch.9  それから僕達は何度か蕪谷の蔵で練習をした。練習するたびにうまくなる手応えを誰もが感じていた。心をひとつにする喜びも感じていた。[…]