WEB/STORY「哀しき70’s Kids」ch.6

 

WEB/STORY「哀しき70’s Kids」ch.6

 

 

「すごいことが起こった。奇跡のようなこと。そして謎は深まる」

 

 

 

 

 

その日、僕達3年生は全員体育館に集められていた。

「えー、おまえら、よおく聞け!」

生徒指導兼体育教師兼野球部顧問兼3年学年主任、吉田三郎が怒鳴っている。いつも学校中を竹刀片手に巡視している、きわめて融通のきかない教師である。

「えー、いいか、聞け!

おまえらはそのうち修学旅行に行く。

で、だ。おまえらはとにかく旅人南中学の生徒として恥ずかしくない行動を取らなければならない。

そこでです。まんず駅前集合は6時です。くれぐれも遅れないように。

それから注意事項をいくつか。小遣いの額は絶対守るように。ジイチャン、バアチャンから小遣いもらっても全部持ってこないように。おまえらは東京の上野ちゅう駅で電車に乗り換える。

東京っちゃ街は都会だから悪い人がうじゃうじゃいます。ちゅうことはせっかく持っていった金を盗まれても先生は知ったこっちゃありません。ちゅうことで財布はできれば制服の後ろに縫いつけておくのがよいでしょう」

あきれてしまった。

常体と敬体の入り交じった実に頭の悪い話し方である。

この吉田という教師、噂によると漢字が書けないらしい。

だから保健体育の授業をやらなければならない場合、自分の自慢話、たとえば大学時代柔道の選手としていかに自分が強かったか、いかに女子学生にもてたか、なんて下らない話を延々50分も続けるのだ。絶対に黒板に字を書かないのである。

「えー、そんで、君達は、東京から新幹線に乗って、そんで京都に二泊します。

もちろん、みんなは担任にいろんな注意を受けてると思うが、とにかく、無駄なものは持ってこない、ケンカをしない、勝手な行動をしない、その三つを守らないやつが一人でもいたら、この吉田が絶対に許さない。

特に九州の中学生は怖いです。

去年もこの学校でツッパッていたバカが九州の中学生に囲まれてボコボコにされた。いい気味です、いや、とてもかわいそうだったです。だから君達もけっして生意気なカッコをしてはいけない。

たとえばカラーの高い制服、たとえば太いズボン、たとえばソリのはいったボーズ頭。こんなのはすぐ九州の中学生に目をつけられます。去年、先生が何度注意したにも関わらず生意気なカッコで行った者がいた。名前は出さないが、三谷というやつです。

こいつは九州の、身長が180以上の恐ろしそうな顔をした中学生十数人に囲まれめちゃくちゃボコボコにされた。まったくもっていい気味、いやかわいそうでした。

みんなはそういう先輩の悪い行いを真似してはいけない。絶対にいけない。そうなっても先生は絶対に助けない。いいか! わかったか!」

最後は青筋立てて怒鳴りだした。

しかしこの吉田、本当にバカである。

この注意をもし三谷や九州の中学生が聞いていたら、こいつこそめちゃくちゃボコボコにされるに違いない。

 

その後、なんと山の手線の乗り方の練習とか、持ち物検査とか、とにかく下らないことが延々と続いて、ようやく学年集会が終わって僕とヤマさんが水飲み場にいると、坂下真紀子がこちらに歩いてくる。

急激に緊張し始めた。

はたして染谷は僕達のぶしつけなお願いを承諾してくれただろうか?

 

坂下はやってくるなりこう告げた。

「美保、OKだって」

「本当か?」

「本当よ」

顔の筋肉が一挙に緩んだ。ヤマさんの顔もたぶん緩んでいた。はっきり言ってすごいことである。僕達のバンドにあの染谷美保が参加するのである。

 

僕とヤマさんがいつまでもにたにたしていると坂下が、

「それで、皆さんは私も誘ってるってことでいいわけ?」と少しあきれがちに言った。

「おうおう、もちろん! もちの、ロン!」僕は力強く答えた。こっちとしては坂下に参加してもらわなければならない諸般の事情があるのだ。

「そうだ、坂下さん」ヤマさんが言った。「そういえば蕪谷を誘うってことは、マーから聞いてる?」

坂下が意味ありげに僕を見た。

「あれ? もう誘ってるんじゃなかったっけ? 蕪谷くんがみんなに馴染めるように、って。蕪谷くん、涙流して喜んでいた、って」

「え?」明らかにヤマさん、びっくりしている。

まずい、と思った。坂下との電話では、ちょっと、いや相当盛って話したことをヤマさんに伝えるのを忘れていた。

だが、そんな僕の焦りなどまったく気にせず、ヤマさんが真実を話し始めてしまった。

「いや、まだだ。というか、そこが一番の懸念事項なんだよ、坂下さんよ。つまり、このプロジェクトは、蕪谷が、うん、と言ってくれないと、そもそも成立しないんだ…」

ということで、ヤマさんがこれまでの経緯、蕪谷はなぜか楽器をたくさん持っていて、我々はそれを借りたいこと、しかもその楽器を置いている蕪谷の家の蔵で練習がしたいこと、楽器の弾き方も教わりたいこと、つまりこのプロジェクトはすべてが蕪谷におんぶに抱っこだということ、だが蕪谷がそうした要請にたやすく乗ってくるほど、僕らとは仲良くない、というか、僕らのことなど眼中になさそうなこと、などを率直に伝えた。

 

聞き終えて、坂下は僕を見ながら言った。

「なるほどねー。岸田くんの話、実はなんか腑に落ちなかったんだ。でも美保にはとりあえず岸田くんから聞いた通り、蕪谷くんが可哀想だから仲間にしたってことを、そのまま伝えたけどね。美保、岸田さんって優しい! って素直に感動してたけど。でもヤマさんの話のほうが腑に落ちた。だって蕪谷くんって素直に弱み見せないって印象だったから。ということは、とにかく蕪谷くん次第ってことね。なんか実現は難しそうな気もするけど。まあ、せいぜい頑張って。じゃあね」

だから頭脳明晰な幼馴染みは、ちょっとばかし困るのである。

 

とはいえ。

 

僕とヤマさんは思わず顔を合わせてにんまりとした。

フランス人形のように美しく儚い染谷美保が、僕達のバンドに参加する。

手を取り合いひとつの目標を目指す仲間となる。これが幸せといわずして何が幸せだろう。

目をつぶった。ギターを手に体育館のステージ上に立つ僕、染谷美保、坂下真紀子。ステージの下には憧れの瞳で熱く僕を見つめる下級生の女の子達。演奏が終わり場内が興奮のるつぼと化し、テープや花束やファンレターが飛び交い、僕は人込みにもまれながら退場する。ウワサがウワサを呼びレコード会社からスカウトマンがやってきて、だから今からサインの練習をしておかなきゃ、と、妄想は果てしなく広がっていき、僕はいつしかこの世で一番おめでたい男となっているのだった。

 

その日の放課後、さっそく第一回バンド・プロジェクト会議を持つことにした。

場所は生徒会室。メンバーは僕とヤマさんとダースコ、坂下真紀子に染谷美保。

開口一番、染谷はこう言った。

みなさん、誘ってくれてありがとうございます。

天使がかくれんぼしているような声だった。当然それだけで舞い上がった。

私、音楽、好きなんです。小さい頃、ピアノを習っていたからクラシックが好きですが、今はポップスをよく聴きます。バンドではどんな曲をやるんですか?

彼女は笑顔でそう訊いてきた。

ダースコがすかさず、ポ、ポ、ポップスです。ポ、ポ、ポ、ップスをやろうと、俺ら、ずーと、そう言いあってきたんだよな、な、ヤマさん、と普段より3オクターブも高い声で叫ぶのであった。

もちろん予想がつくとは思うけれど、もし染谷が、浪曲好きなんです、といったら、ダースコは当然、ロ、ロ、浪曲だよな、浪曲やろうと思っていたんだよ、な、ヤマさん、と言うのである。

そういえば彼女、こんなことも言った。部屋でラジオを聴いていると嫌なこと、みんな忘れてしまうんです。

思わずドキッとした。

ポップスが好き、ラジオを聴く、ということは、M・Sは、やっぱり…。

が、染谷はそんな僕の動揺に気づくことなく、天使が砂遊びをしているような声でこう続けた。

真紀子も一緒だから安心して出来ます。

蕪谷さんって人も誘ったとか。蕪谷さん、涙流して喜んでいた、とか。岸田さんはじめ、皆さん、本当に心優しいんですね。感動しました。

では、よろしくお願いします。

坂下が笑いをこらえた顔で僕を見ている。

僕は頭を掻くばかりである。

ということで、すばらしき第一回バンド・プロジェクトの会合を終えた僕とヤマさんは一目散、蕪谷樹一郎の家を目指した。

こうなってはもうグズグズしていられない。

やつをどうにかしてバンドに引き入れなくてはすべてはオジャンとなってしまうのだ。

 

僕とヤマさんは蕪谷が寄宿しているバアさんの家、古い農家に着くや玄関を開け、カビくさい空気を吸い込みつつ、

『かっぶらたにくーん!』と叫んだ。けれど誰も出てこない。バアさんもいない。しかたがないので裏庭にある蔵に回ってみた。

 

音が聞こえた。ドラムの音だった。

 

はやる気持ちを抑えつつ音のする蔵に近づいて鉄縞子窓から中を覗いてみた。

彼がいた。だだっ広い蔵の真ん中に置かれたドラムセットの前に蕪谷樹一郎が座っていた。

ヘッドホンをかけてスティックを持ってひたすらドラムを叩いていた。

汗が飛び散っていた。目をつぶっていた。かすかに頭を振っていた。足が揺れていた。

彼は一心にドラムを叩いていた。

恐ろしく正確なビートだった。いいしれぬ感動とムズムズする衝動が体の奥底から込み上げてきた。

『ジョンの魂』を聴いている時のムズムズと同じだった。いや、あれよりも強かった。

知らないうちに体が揺れ、足が動き、血管がドクドク鳴っていた。これが音楽なのだと思った。ステレオの音ともラジオの音ともまるきり違う、生のリズム。

こんなビートを一身に受けながら自由に演奏できたらどんなに気持ち良いだろう…

と、そんなことを考えていたら、いつのまにか音が止んでいた。

蕪谷がこっちを見ていた。彼はヘッドホンを取るなり、こう言った。

 

「まあ、入れ」

 

蔵の中はひんやりとしていた。

けれどすごかった。

なにがすごいって、そこはまるでスタジオだったからだ。

カタログでしか見たことのないエレキギターやベースギターやアンプやドラムが所狭しと並べられていた。

それだけではない。

ピッカピカのコンポーネントオーディオシステムやレコード屋と見間違うほどのたくさんのレコードと、なんと、マイクが三本、それにキーボードまでが備えつけられていたのだ。

頬をつねった。全然痛くなかった。あ、夢なんだな、と思ったら、なぜかヤマさんが悲鳴を上げていた。あまりの興奮に僕はヤマさんの頬をつねっていたのだった。

 

「し、しかし、なんだ、こりゃあ」

 

ヤマさんがようやく声を絞りだした。

これまでモノ持ちとして通っていたヤマさんもびっくり仰天のモノの洪水である。

しかもモノはモノでもモノが違うのである。ヤマさんの宝物『ナショナルのラジカセ』とはケタが違うのである。僕達が夢にまで見て、でも手の届かなかったモノたちのオンパレードなのである。

驚きのあまり立ち尽くしていると、蕪谷はそんな僕達をニヤニヤ眺めながら、「まあ、座れ」と言った。

 

「よくここがわかったな」

「そりゃあ、わかるって。あれだけドコドコやってたら」僕は言った。

「キシダ、マコト。相変わらずカッコ悪いな」蕪谷は僕に言うと、続けてヤマさんに、

「おまえもカッコ悪いな、ジャイアント馬場」と言った。

まったく食えない男である。が、ここはぐっと我慢して、とにかく彼に協力を仰がなくてはならないのである。

ヤマさんが引きつり笑いを浮かべながら、

「なあ、原宿太郎、いや、蕪谷君」と言う。

いつものヤマさんの声ではない。まるで寅さんが憧れのマドンナの前で喋るような、うわずった声である。

「なんだ? ジャイアント馬場」

「率直に言う。今日はおまえに、蕪谷君に頼みがあってきた」

「頼み?」

「そうだ。頼みだ。なあ、蕪谷、おまえ、俺達をひとつ、男にしてくれ」

「そうか、おまえは女だったのか」

「いや。そうじゃねえ。俺は男だ。が、もっと男にしてくれ」と、そんなわけでヤマさんはこれまでのあらましを蕪谷に説明した。

聞き終わっても蕪谷はむずかしい顔を崩さなかった。

緊張のなか、無言の時が刻々と流れていく。

ここで蕪谷が、うん、とうなずいてくれないと僕達ははっきり言ってお手上げなのだ。

 

突然、蕪谷が席を立った。

 

僕もヤマさんもぐっと身を乗り出した。だが彼は意外にも優しい声で、

「まあ、せっかく来たんだ。ゆっくりしていけ。今、飲み物、持ってきてやる」と言い残して蔵を出ていった。

 

蕪谷がいなくなると僕は足をつねってみた。全然痛くなかった。やっぱりこれは夢なんだな、と思ってよく見ると僕はヤマさんの足をつねっていた。

 

「しかし」とヤマさんが言った。

「おう」と僕は言った。

「すごいな」とヤマさんが言った。

「そうだな」と僕が言った。

「金持ちなんだな」と僕が言った。

「恐ろしい金持ちだな」とヤマさんが言った。

 

僕はもう一度蔵のなかを見渡した。ギターがあった。エレキギターだった。

夢にまでみたサンバーストのストラトタイプだった。

そのギターに近づいて思わず僕は悲鳴を上げた。

 

「ヤ、ヤ、ヤマさん!」

「な、な、なんだ、マー!」つられてヤマさんも悲鳴を上げた。

「これ、は!」

「な、な、なんだ!」

「ほ、ほ、ほ、本物のフェンダーストラトキャスター、だ!」

僕は興奮のあまり膝がガクガクしてきた。

本物である。

夢にさえも見たこともない正真正銘のストラトキャスターである。

フェルナンデスでもグレコでもなく真のフェンダー製である。

新品ではなくいたるところ塗料が剥げかかっていたけれど、そこがまたカッコいい、そんな渋いギターなのである。

 

ベースギターもフェンダー製だった。

これまた新品ではなく、ところどころステッカーが貼ってある年季の入ったベースだった。

よく見るとここに置いてある楽器のほとんどが年季の入ったものだった。

どれも塗装が剥げかけていたりステッカーが貼ってあったりしてある。ドラムにもガムテープが貼ってある。オルガンもアンプも角のところがすり切れて白くなっている。

ある意味、そこがたまらなくプロっぽかった。中学生の持ち物とは、とても思えない。

 

僕とヤマさんはまたまた顔を見合わせた。

「しかしなんかよくわからないな」とヤマさんが言った。

「謎が多すぎるな」と僕も言った。

そんなふうに蔵の中を眺めていると蕪谷がコーラとカステラを持って戻って来た。

ヤマさんは出されたカステラを平らげながら僕に耳打ちする。

「しっかし蕪谷、けっこういい奴じゃねえか」

ヤマさんはカステラが大好物なのである。

「なあ、蕪谷よ」

ヤマさんは指にくっついたカステラの皮までなめると口を開いた。

「どうだ、ここはひとつ、俺達のために一肌脱いでくれねえか?」

蕪谷はにやにや僕達を均等に見ている。

「とにかくおまえの力を借りたい。力だけじゃない。楽器も借りたい。虫のいい話っていうのは当に承知だ。その上で頼んでる。この山田正義、旅人南中生徒会長、山田が頭を下げる。どうだ、一肌脱いでくれないか」

ヤマさんは真剣そのもの、蕪谷の顔をまっすぐ見つめながら答えを待っている。

沈黙が続いた。蕪谷はしきりに何か考えているふうだった。

しばらくして蕪谷は僕とヤマさんの顔をもう一度均等に眺め、ひと呼吸置くと、言った。

「わかった。手伝おう」

ヤマさんの顔がパッと明るくなった。僕も思わず歓声をあげたくなった。

「す、すると、蕪谷よ、俺達に楽器教えてくれるのか?」

「教えてやろう」

「おお、ではここにある楽器、貸してくれるのか?」

「貸してやろう」

「おお、おお、じゃあ、おまえもバンドに参加してくれるのか?」

「参加してやろう」

「おお、おお、おお、じゃあ、じゃあ、この蔵を、俺達の練習場にしていいのか?」

「いいことにしてやろう」

ここぞとばかりの畳み掛け交渉術。さすが政治家の息子である。

ヤマさん、感激のあまり、涙を流している。と思ったら興奮のあまり僕がヤマさんの太ももをつねったための涙だった。

けれど涙を流してもおかしくないのだ。

この素晴らしい機材を使って、あの染谷美保と一緒に、蕪谷のビートに乗って僕がギターをジャーンと掻き鳴らす。ボーカルマイクを握りしめ全校生の黄色い喚声を浴びる。いやあ、サイコーだ。思わずヨダレの垂れはじめた口元を手で拭った。

「ただしひとつ条件がある」

だが、夢見心地の僕とヤマさんに、蕪谷は痛烈な冷水を浴びせた。

僕たちの鼻先に一枚の写真を突きつけたのだ。

「この写真に写っている場所を捜し当てたらおまえ達のバンド遊びに協力してやろう」

え…。

 

何?…。

写真??

思わず僕とヤマさんは顔を見合わせた。

「写真?」とヤマさん。

「そうだ、写真だ」

「蕪谷。意味がわからん。もっと詳しく説明してくれ」ヤマさんが言った。

 

蕪谷は答える代わりに僕とヤマさんそれぞれに同じ写真を手渡した。

 

古ぼけた白黒の写真だった。

季節は夏だろうか。

陽光が隅々まで充満しているのが白黒でもわかる。

荒涼とした大地。

舗装されていない一本道。

その道は写真の真ん中にある。遠近法で手前から奥まで続いている。

写真を撮った者は明らかにその道の真ん中に立っている。

 

もちろん舗装されていないから、センターラインもない。

 

というか、昔基準の道だから、ギリギリ車がすれ違えるぐらいの幅だ。

道の両側に軒の低い木造家屋が何軒か建っている。

空は晴れ渡っている。入道雲が写っている。

木の電柱も遠近法で並んでいる。

それだけの写真だった。

アメリカ西部開拓時代の写真のようにも見える。砂ぼこりと陽炎が、今にも立ち上りそうな、そんな写真だった。

「俺達が生まれた頃の写真だ。場所はこの旅人町。どうだ、心当たり、ないか?」

俺たちの生まれた頃、ということは15年前。西暦でいえば1960年前後。

 

もう一度、写真を見た。

隅々まで見返した。

見覚えはなかった。

いくらここで生まれ育った僕とヤマさんでも自分が生まれた頃の風景まではわからない。

しかもこの写真にはなんの手がかりもない。

写っているのは特徴のない道と特徴のない民家と特徴のない空だけなのだ。

 

「わからん」僕ははっきり言った。

が、ヤマさんは、「ちょっぴり、わかるようなわかんないような、当分の間はまあわからないと解釈してよいような写真だなあ」と、さすが政治家的な玉虫色の返答をした。

 

蕪谷は冷ややかな声で、

「まあ、そうだろうな、おまえ達よりずっと年上のジイさんバアさんに聞いてもわからなかったんだからな」

と言うなり、

「じゃあ、やっぱり、やめる。バンドの話はなかったことにしてくれ」

これには僕もヤマさんもあわてふためき蕪谷に翻意を促し、絶対にこの写真の場所を捜し出すという条件のもと、ようやくバンドの話を呑んでもらうことになったのだった。

蕪谷は、おまえたちの分以外にも、写真は何枚持ってってもいい、と言った。

「たくさん焼き増ししてあるんだ」

その時。突然、蕪谷が近くなったように感じた。

初めて、蕪谷の照れを感じたからだった。

そして、突然、わかった。

蕪谷は、本気なんだ、と。

 

遊びじゃない。

 

本気でこの道を探し当てたいんだ、と。

またもや突然、蕪谷がこの旅人町に来た理由が分かった。

 

この道を探しに来たんだ。

すごくシンプルな理由。そして、すごく真面目な理由。

ヤマさんは即座に、7枚、と答えた。

ヤマさんを見ると、いつになく真剣な顔をしている。

 

「蕪谷、おまえ、本気だな」ヤマさんが言った。

ヤマさんも同じことを感じたんだ。

「私、山田正義は困っている者を見ると放っておけない性分です。山田家の家訓にもあるんだ。友達なら、なおさらだ」

 

友達…。

「おまえ、蕪谷。俺ら、 全力で見つけるから!

この道はおまえにとって、とても大切な道なんだ、ということがすごくわかった!

おまえが、酔狂で道捜し遊びをしたいわけじゃないこと。俺たちをからかっているのでもないこと。

それがわかった!

 

おまえは、本気だってこと。

 

それもわかった!

 

だから理由なんかどうでもいい。

バンドも、どうでもよくないけど、まあ、 二番目でいい。

私、山田正義は、そしてここにいる岸田誠も、全力で、この道を見つけることを、ここに宣言します! 任せろ!蕪谷!伊達にこの町に15年も住んでないからな」

 

勝手に僕も入れられてしまったが、でも想いはヤマさんと一緒だった。

蕪谷が友達になったんだ。少なくとも僕らにとっては。

さすがのクールな蕪谷も、ヤマさんの熱さには何かを感じたようだった。少しばかり表情が柔らかくなったような気がした。

それからはずいぶん打ち解けて、なんと蕪谷から、楽器触ってもいいぞ、と言ってくれた。

 

でも、僕もヤマさんも気後れしてしまい、しかも本物のフェンダーなんて、恐れ多くて、まだ触るほどの心の準備ができていないから、とりあえず、今日は遅いから帰るわ、と告げて、蔵をあとにした。

蕪谷と別れると、一気に疲れがきた。

知らずうちに緊張してたのだ。

しかし心地よかった。

大仕事をやり終えた達成感と、蕪谷に少しばかり近づけた嬉しさが僕の心を温かくしていた。

「蕪谷、意外といい奴かも」僕はつぶやいてみた。「カステラがなくても」

ヤマさんのうなずく気配がした。

「ところでヤマさん?」

「なんだ、マー」

「なんで7枚なの?」

「ダースコ、坂下真紀子さんと染谷美保さんの分で3枚、そして俺の父親であり旅人町長の山田半二郎と、その秘書、あとは旅人南中の校長とボツの分だ」

なるほどなあ。

ヤマさんのこういう瞬時の計算と決断力と、自分の持つ人脈を最大限活用しようとする姿勢に、やはり政治家的資質の非凡さを感じるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

chaper.7

chapter.7

WEB/STORY「哀しき70's Kids」ch.7  「1970年の思い出。そしてまたもや染谷からの告白」     […]

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