WEB/STORY「哀しき70’s Kids」ch.1

完全オリジナル未発表小説

1975年。。

僕たちは、たったの中学3年生だった。。。

当時のヒットソングとともにお届けする青春群像。。。。

どうぞお楽しみください。

 

これから中学3年の頃のこと、西暦でいえば1975年の初夏から秋の終わりにかけて僕の周りで起きた出来事について記す。

いわゆる思い出話ってやつだ。

一人の男の子がいなくなり、一人の女の子がいなくなり、一人の女の子が死んだ、そんな思い出話だ。

 

 

WEB/STORY「哀しき70’s Kids」ch.1

 

 

 

 

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これから中学3年の頃のこと、西暦でいえば1975年の初夏から秋の終わりにかけて僕の周りで起きた出来事について記す。

いわゆる思い出話ってやつだ。

一人の男の子がいなくなり、一人の女の子がいなくなり、一人の女の子が死んだ、そんな思い出話だ。

 

ところで僕の生まれ育った町は「旅人町」という。

「旅人」と書いて「たびうと」と読む。考えてみれば不思議な名前である。

なぜそんな名前がついたのか、実は誰も知らない。町の長老も中学校の先生も、町長である山田半次郎でさえ知らない。

この町は、この場所は、遙か昔から「旅人」と呼ばれていた、そういうことだ。

 

関東平野の端っこの町だった。

町を貫く街道と小さな駅舎と少しばかりの商店と、山と川とたんぼだけのちっぽけな町。

とにかく僕とヤマさんとダースコは、この町で、バンド結成を夢見るアホな田舎の中学生だった。

そう。蕪谷樹一郎が転校してくるまで。

どのくらいアホかというと、このぐらいアホだった。

 

 

「ぼくは、ラジオに首ったけだったんだ」

 

 

あ、もう始まってる!

 

パチ!  ジー、ブツ、ブツ、ブツ、キュイィィィィン

クィーンン・ン・ン・ン

 

…さて、さて、今週のアメリカンベスト40も、いよいよベストテンを残すのみとなったね。

今週はどんな曲がチャートインしてくるんだろう、ワクワクしないかい? 僕はとてもワクワクしてる。ラジオの前のキミももちろんワクワクしてるはずだ。

オーケイ、じゃあ、さっそくいってみよう!

1975年、6月21日付ビルボード、およびラジオのオンエア回数より割り出されたアメリカンベスト40、今週の第10位は!

… さあ流れてきたぞ。

そうそう、この曲、アベレイジ・ホワイト・バンド! とびっきりファンキーなチューンだ、オーケイ! 聴いてくれ!

『カット・ザ・ケイク』!

 

ふむふむ、いよいよアベレイジ・ホワイト・バンドがチャートインか。

このバンド、とにかく『ピック・アップ・ザ・ピーセス』が最高だったぜ。本当にかっこよかった。

と、そんな独り言をつぶやきながら机の引き出しから大学ノートを引っ張りだした。

表紙にはアメリカンベスト40と汚い字で書かれている。

1975年、6月21日とこれまた汚い字で書かれたページを開き、10位のところにアベレイジ・ホワイト・バンド、『カット・ザ・ケイク』と書き足した。

曲が終わった。たたみかけるDJ。

 

やあ、ボーイズアンドガールズ! どうだった? さすがファンキーでおしゃれな『ホワイトソウルバンド』、聴かせてくれたね。

じゃあ次だ! 今週の9位。ポール・マッカートニーとウイングス、『あの娘におせっかい』、ゴー!

 

…。

 

「ふう」

番組が終わるとラジオを切って畳の上に寝転んだ。

今週の輝ける1位はキャプテン&テニール『愛ある限り』。

カントリータッチの軽やかな曲だ。アメリカの『金色の髪の少女』を蹴落としての堂々のナンバーワンである。

今日の日付の1位のところに『愛ある限り』と書き添えるとペラペラとページをめくってみた。

最初の日付は1973年6月3日。3位がエドガーウインターグループの『フランケンシュタイン』、2位が『ダニエル』エルトン・ジョン、栄えある第1位が『マイ・ラブ』ポール・マッカートニーとウイングス。

読むに耐えない汚い字であるが、どの曲もまぎれもない名曲だ。

 

中学1年の時だった。何気なくラジオをチューニングしていたらこの番組が始まった。

なんともいえない軽妙な語り口と音楽。乾いた雰囲気。番組の名前は『アメリカンベスト40』。

これだ! と誰かが耳元で囁いた。

以来この番組、というより洋楽のとりこになってしまったのである。

来週はどうだろう?

いつものようにチャートを眺めながら予想を始める。

これまた楽しいのだ。『愛ある限り』は確かに強そうだ。

来週も1位は堅そうだ。が、自分としてはできればリンダ・ロンシュタットに頑張ってもらいたい。『いつになったら愛されるかしら』、これが1位になってもらいたい。曲もいいし、なんといってもリンダ・ロンシュタットがステキである。

キャプテン&テニールも悪くないけれど、あちらは夫婦。リンダは独身。僕としては断固としてリンダに1位をとって、大きな黒い瞳にあふれんばかりの涙を溜めてこう囁いてもらいたい。日本のリスナーのみなさん、特にマコトさん、本当にありがとう、リンダ、困っちゃう。そうしたら僕はこうなぐさめてやる。リンダ頑張れ、頑張れリンダ! リンダリンダリンダ! と。

そんな独り言をつぶやきながら畳の上を転げ回っていると階下で母が呼んでいた。電話だった。ヤマさんからだった。

「マー、来い」ヤマさんの電話はいつも完璧に用件だけである。

 

 

「すごい田舎町だけど、世界に誇れるものが3つもあったんだ」

 

 

自転車で畦道を疾走している。

見渡すかぎり青々とした稲穂の波。プンと鼻につく草いきれ。

彼方に山々のシルエット。

初夏の空。上に広がる極上の夕焼け。

ペダルを踏みこむ足に力の入る僕は岸田誠、通称マー、自分ではとりあえずいい男と思っている15才、旅人南中3年生、剣道部。

そんな僕の住む旅人町は、

まさにザ・田舎というべき平凡な町だが、それでも世界に誇れるものが、少なくとも三つはあると思っている。

 

ひとつは安喜亭というラーメン屋である。

安喜亭は駅前のさびれたロータリーの一角にある。

木造の駅舎、背後に雪を冠した山々、材木置き場、かんなくずの匂い。

痩せた野良犬。

そんな寒々とした光景がぴったりの店構えを思い描いてもらいたい。

店内も寒々としている。

コンクリートの土間に直接置かれたテーブル、厨房には無愛想なオヤジがひとり。

だが、ひとたび出てきたチャーシューメンをすすれば、そんなことはなんら問題ではなくなる。

細身の麺に和風だし鳥ガラスープ、ひとくちすすったとたん啌中にジワアと旨さエキスが広がるのである。

後は無我の境地、最後のひとすすりまで一気にいってしまう。ああ、考えるだけでもヨダレが出てきた。

 

お次の誇り。

これまた食べ物屋である。

やどろく亭という、双子の婆さまがやっている定食屋なのだが、とにかく大盛チャーハンがすごいのである。

まずはその量である。

たらいのような器にこぼれんばかりに盛られている。部活帰り、育ち盛りの中学生が食べきれない量、といえばわかってもらえるだろうか。

けれどこのチャーハン、量だけがすごいのではない。味も絶品だ。

薄くしょうゆで味つけしたごはんは芸術的なほどカラッとしている。具には卵にチャーシュー、キザミねぎ。

これまた考えるだけでヨダレもんの一品なのである。

 

最後のひとつは、今日のような夕焼けだ。

部活の帰り道、見渡すかぎりたんぼばっかりの畦道をとぼとぼ歩いていると、ごくまれに極上の夕焼けに出くわすことができる。

もちろん夕焼けはどんな夕焼けでもそれなりに素晴らしい、ということは、これは地球誕生以来の摂理だが、それでも極上の一品となると数がはるかに限られてしまうことをご存じだろうか。

その時の気温や空気の粒子の荒れ具合や太陽の黒点の大きさや、はたまたそれを見る人の眼の濡れ具合までが微妙に作用して極上の夕焼けと普通の夕焼けに微妙な、それでいて絶対に越すことのできない確固たる一線を引いてしまうのだ。

本当に素晴らしい夕焼けは東の空はまだ青く澄んでいるのに西の空は真っ赤になっていて、するとちょうど頭の上あたりでその青と赤がうまい具合に溶け合っていてそれがまた人間では決して出せない色になっている。

だからその夕焼けを見た者はすべて、胸の奥底の古い古い記憶が疼いて、しばし、切ない気分になるのである。

 

「バンド、、、それこそ、ぼくたちの夢」

 

長い廊下を伝ってようやくヤマさんの部屋にたどり着くと、そこはグレープ色に染まっていた。

ナショナルのラジカセからグレープの『無縁坂』が大音量で流れていたからだ。

ダースコは耳をふさいでいた。 僕も部屋に入るなり耳をふさいだ。ダースコも僕もさだまさしの声が大嫌いなのである。

「なあ、ヤマさん、俺、アリスまではいいけど、グレープはダメだ、ゲップが出そうだ」

味方がきて心強くなったのだろう、ダースコがついに悲鳴をあげた。

アリスでもだめだあ、と僕が心の中でつぶやいていると、ヤマさんが、

「そうかなあ? 素晴らしい歌声だと思うけどなあ」と首を傾げつつ、ラジカセを止めた。

 

「さて、と。今日お集まりいただいたのは他でもない、我々のです、一大プロジェクトの、です、つまりはバンドです、秋の学校祭に向けて、バンド結成について皆様にお知恵を拝借しようと、まあ、そんなわけでございまして」

ヤマさんが声を張り上げた。まったくの演説口調だ。というのもヤマさんこと山田正義(まさよし)はこの辺りの名家旧家、山田家の跡取りおぼっちゃんで、祖父は県会議員、父親は旅人町長という、まさに政治家一家に生まれ育ったサラブレット、さらには我が旅人南中学の生徒会長だからだ。

身長180センチ、体重80キロという並外れた巨漢、ジャイアント馬場にそっくりの顔、性格もいわゆる殿様的鷹揚さに満ちあふれ、とにかくみんなから一目も二目も置かれる、知らずにまとめ役になってしまうタイプである。

「バンド作るのはいいけどさ、なんの曲やんの? ヤマさん」

僕がそう突っ込むと、ヤマさんはジャイアント馬場顔を恍惚とさせて、

「マー、とてもいい質問だ。そうですね、私はですね、ステージをつま恋みたいにしてかぐや姫のコピーをだな、『うちのおとうさん』とか『神田川』とかをギター三つで、ピロピロロと、まあ、それがいいのではないだろうかと」とのたまった。

ヤマさん、ごつい風貌に似合わず気持ち悪いぐらいおセンチでメメしい日本のフォークソングが大好きなのである。

ヤマさんの提言に反旗を翻したのが、ダースコだった。

「いや、やっぱ、おいらは、ステージをリブ・ヤングみたいにして、キャロルがいい、って言ってるわけよ」

棚田筋彦(すじひこ)、めずらしい名前である。

筋を通す人になってほしい、という意味が込められているらしいが、ダースコの父親が昔そのスジの人だったという話もある。

名は体をあらわすのとおり、筋肉質のいわゆる引き締まったいい身体をしている。

ブルース・リーをこよなく愛し、将来千葉真一プロダクションに入ってアクションスターになることが彼の夢でもある。

身は軽いし、運動神経はいいし、何も喋らなければけっこういい男だし、千葉真一プロダクションは無理でも中国の雑伎団なら十分やつていけると僕もヤマさんもひそかに思っている。

「いや、どっちもよくない、特にキャロルは」

僕も口を挟む。

「やるなら洋楽だな。ディープパープルでもいいし、ストーンズもかっこいい。無難にいくならビートルズとか」

ちなみに僕こと岸田誠の音楽的指向は完全に洋楽一辺倒である。

「よお、マー、永ちゃんにダメ出しするやつは、たとえ親友でも、許せねえ」とダースコが怒気あらわに言う。

「そりゃわかってるだろ。ダースコだって。去年を思い出してみろって」

「まあ、それは…」

そこで三人とも、大きなため息をついた。

「やっぱ、無理かなあ、もう学校祭出演は…」しばらくして、ダースコが珍しく弱気な声を出した。

けれどそのうち

「でも、やっぱ、やりてえ」とダースコがつぶやくと、

「最後だしな」とヤマさんもつなげるのだった。

このプロジェクト、メンバーの音楽性の相違以上に大きな壁があった。

先生方の反対、である。実は去年の3年生も学校祭バンド出演を試みた。

が、その連中が極めつけの不良グループだったからいけない。

先生は当然許可しない。しかし不良グループは納得しない。

学校祭当日までそんな押し問答をしたあげく、その不良グループ、英語クラブの英語劇がクライマックスを迎えたまさにその時、突然ステージに上がりだした。全員皮ジャンを羽織りサングラスをかけている。

坊主頭にリーゼントのかつらまで被っている。キャロルのマネであることは自明である。

はたして親分の三谷がマイクを奪いとるや大声で『キミは~ファンキーモンキーベイビィー~』とがなりはじめた。

同時に他のやつらもドラムのかわりにヤカンをガンガン鳴らし、ギターのかわりにほうきを持ち、バクチクは鳴らすわ、ステージの緞帳は破るわ、あげ句の果てに一番前に座っていた校長のヤカン頭にヤカンを投げつける大騒動を巻き起こしたのであった。この騒動で先生方の頭にはバンドイコール不良、という構図が完全にインプットされてしまったのである。

これだけでも難題なのだが、さらに大きな壁があった。

僕達は誰ひとり、楽器を弾くことができない、という壁だった。

もちろん縦笛はできる。ハーモニカもカスタネットもピアニカも、足踏みオルガンも、まあその辺だったらどうにかなる。が、いわゆるバンド的な楽器には触ったこともなければ、所有すらしていない。

バンド的な楽器とはたとえばギター、ベース、ドラム、キーボードといった楽器群である。にもかかわらず、というか、だからこそ、というべきか、みんなボーカルをやりたがる。これではどうしようもない。バンドを作る以前の問題である。

しかしそこはアホな田舎の中学生、楽器を弾くことはできなくてもバンドを作りたいという夢、いや欲望は果てしなく広がる。バンドマンはオンナにモてるという、きわめて短絡的な思考につながっていくのであった。

「バンドをやることは不良じゃない」ダースコが重大な決意を込めて言った。

「そうだ、不良じゃない」僕も続いた。

「学校祭にバンド出演を認めない先生は横暴だ」いつもは穏和なヤマさんでさえ、眉間にしわを寄せて、言った。

「そうだ! オーボーだ!」

「ところでオーボーて、なんだ?」ダースコがきわめて素朴な問いを発した。

「オーボーって、つまり、ほら、あれだ、ほら、つまり、オーボーってことだ」

「3組の吉田は六年のときからボーボーだったぜ」

「何が?」

「いやあっちの毛が」

「バーカ」

「バーカ」

「だからおまえは下品だっていわれるんだ」

「でも、去年は先輩も悪かった」

「そうだ、でも、去年は去年、今年は今年、とにかくバンド、やろうぜ」

「コホン、では誰が何をやる?」

「俺、ボーカル」

「俺、ボーカル」

「俺だっちゅうの」

「いつも、ここから話が進まない」

「コホン、とにかく今度の学校祭には、どうにか先生方を説得し、必ず我がバンドが出演できるようにします。それが私、山田正義、旅人南中学校生徒会長、山田正義の公約としたいのであります」

パチパチパチ。

「じゃあ、まずバンドを作る」

「その言葉、俺ら、もう百回は言ったよな」

「だから今度こそホントに作る」

「だな」

「だな」

「今度の日曜日、きちんと決める」

「だな」

「夏休みいっぱい、練習する」

「おう」

「秋の学校祭には、南中はじまって以来の公認バンド出演を果たす」

「いいな」

「かっこいいな」

「オンナ達、キャーキャーいうかな?」

「いうにきまってるだろ」

「染谷美保もうっとりするかな?」

「するにきまってるだろ」

「誰に?」

「やっぱボーカルにだろ」

「じゃあ俺、ボーカル」

「いや、俺がボーカルだ」

「いや俺だ」

 

 

堂々巡りというやつである。

 

 

ch.2

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